冷害に強いアスパラガス栽培は北海道から始まった !!

90年前、北海道・岩内町で、アスパラ農業の始祖・下田氏によって栽培が始まった。

雷電峠の刀掛岩。岩内町のシンボル。
そんなとき、作物が冷害にあったにもかかわらず、ある農家の畑に野生のホソバキジカクシが元気に育っているのを見つけました。これがアスパラガスの仲間です。春に収穫した後は、秋まで根に栄養分がたまるアスパラガスは、冷害の影響を受けにくい作物なので、寒い夏でも農家の庭先で元気に育っていたのです。
下田氏は早速アスパラガスの種を輸入し、数年かけて研究を重ね、1922年、北海道でもよく育つ新品種「瑞洋(ずいよう)」を開発しました。翌23年には、岩内町の隣町、前田村(現・共和町)に40ヘクタールの農場を設け、これが日本初のアスパラガスの本格的な栽培となりました。
このように、下田氏によって日本ではじめてアスパラガスが栽培されたことを記念して、岩内町には、「日本のアスパラガス発祥の地」の記念碑があります。また、岩内町郷土館では、アスパラガス発祥の地に関連する資料がそろっています。
〈参考:北海道新聞2015年5月16日号夕刊 「冷害に強い作物求め ②アスパラガス」〉
ひと昔前は「ホワイトの缶詰」が主流。開発当時は超高級品だった !!

当時のホワイトアスパラガスの缶詰はとても高級な食品で、お米一升が15銭だった時代に、国産のアスパラの缶詰は1缶1円もしたそうです。
昭和50年くらいまでは、日本ではグリーンのアスパラガスはほとんど見たことがなく、ホワイトの缶詰が主流でした。おいしいのか、おいしくないのかよくわからない微妙な味と、不思議な食感のホワイトの缶詰は、当時はサラダに使うくらいのものでした。もちろん今でもホワイトの缶詰は販売されています。当時と比べ食べ方の種類も増え、定番のサラダ以外にも、ポタージュやスープ、グラタンなど、白さを利用したレシピが知られるようになりました。
「アスパラガス揺籃の地」 は喜茂別町(きもべつちょう)。ここから本格的に栽培されていった。

1929年(昭和4年)ころから栽培が始められ、1932年には「朝日アスパラガス缶詰株式会社」が設立されると、ホワイトアスパラの缶詰の生産がますますさかんになり、喜茂別町のアスパラ農家も徐々に増えていきました。
アスパラガス栽培の発祥の地は岩内町ですが、喜茂別町は本格的な栽培が始まった地であることから、「アスパラガス揺籃(ようらん)の地」といわれ、記念の碑も建てられています。
今や主流はグリーン。手間のかかるホワイトに比べ、栄養価も高い。

アスパラガスは日光にあたると栄養価がとても高くなります。1970年代はまだホワイトしか出回っていなかったアスパラガスですが、当時の健康志向のブームと相まって、グリーンの人気が高まっていきました。今ではアスパラガスといえばグリーン。生産される9割以上をグリーンが占めているほどです。
また、アスパラガスは新鮮さが命ですが、グリーンの人気が高まってきたころから、宅配便などの流通ルートが急速に発達しはじめました。このため産地直送が可能となり、全国各地で、新鮮でみずみずしいアスパラガスをおいしく食べることができるようになりました。
90年前に本格的な栽培が始まったアスパラガスは今、ハウスものが旬です。そして、5月も中旬になると、さらにおいしい露地ものが出回ってきます。北海道の地で、日本に適したアスパラガスの品種を開発してくれた下田氏に感謝しつつ、今年もアスパラガスをおいしくいただきたいものです。