うどん豆腐、カスティラ豆腐、梨豆腐・・・江戸時代の豆腐レシピをひもとけば
もっとも古い豆腐料理のひとつ、「田楽」。
文人の真っ白なキャンバス、もとい和紙
たしかに、上位メニューなど眺めていると「こんなの作りましたわ」と違いのわかる相手に一皿を供し「ほうなかなか」と唸らせている図が、上空にぽわ〜んと浮かんでくるようです。「食で楽しみ喜ばせたい」というヤル気と遊び心が感じられ、豆腐という食材を考察した読み物としてもじゅうぶん楽しめたと思われます。
この本は大ベストセラーとなり、あまりの人気に続編が二度も編まれ、さらには鯛、大根、玉子、 こんにゃくなどの『百珍もの』シリーズが続々と刊行されて一世を風靡したのでした。
豆腐は、生でも加熱しても美味しく、メインにもソースにもデザートにも変幻自在。しかも味が淡白なので、たいていの食材としっくりなじみます。江戸時代の人にとっても、創造意欲をかきたてられる懐の深い食材だったにちがいありません。
とはいえ当時の調味料は、ブレイクしたての醤油と、味噌・酒・酢といったシンプルなもの。それに加えるものも、山椒・わさび・ねぎ・しょうが・大根おろしなどの薬味系や青のり・ごまなど身近なものばかり。しかも獣肉は使いません。その条件下で追求される、驚きの豊かさ・・・白い和紙(豆腐ですね)に描かれた文人画にも通じるような気がします。
豆腐は仏教にかかせない「もどきの肉」
もともと仏教経由で日本に入ってきた豆腐が日常庶民の口に入るようになったのは、江戸時代の後期になってから。それまではお寺や特権階級だけの贅沢品でした。
江戸の初期には鹿・イノシシ・タヌキ・ウサギ・クマなどの獣肉を汁や田楽にして食べていたといいます。仏教の影響で、人々は肉を使用した生臭(なまぐさ)料理と精進料理を真面目に食べ分けていたようです。とくに武家では、先祖の命日は「精進日」として肉・魚は禁止! 由緒あるお家ほど命日が頻繁にあるので、あまり肉食ができなかったのですね。
そんな事情もあり、「肉・魚のように見える豆腐料理」は不可欠だったといいます。『豆腐百珍』では豆腐でつくった「海胆(うに)」「蜆(しじみ)」「香魚(あゆ)」「竹輪」「はんぺん」といったレシピが並びます。もどき豆腐料理は、現代にも「豆腐ペーストを長方形に切った海苔に広げタレを付けて焼いた『ウナギ』の蒲焼き」や「ハンバーグ」など、主に節約やダイエット、ベジタリアンレシピの方面で生かされているようです。まさに畑の肉。やっぱり目は生臭を欲するということなのでしょうか・・・。
ところで、「ドジョウと豆腐を水の入った鍋に入れて火にかけると、熱さから逃れようとドジョウが冷たい豆腐に潜り込んでそのまま煮える」という話を聞いたことがありませんか。一見「湯豆腐」にしか見えないので、それを利用して僧侶たちがこっそりドジョウを食べては精をつけていた、というお話です。けれども実際には、ドジョウは豆腐に潜らず別々に煮えてしまうのだそうです・・・お坊さんが(お豆腐パワーで)あまりに元気なので、「あの豆腐にはドジョウが潜んでいるに違いない」と思われたのかもしれませんね。
目も喜ぶ!「見立て」のアート
一方、ランク上位には非常に手間ひまかかるレシピが並んでいます。
だし汁で朝から晩まで中火で煮ぬく「煮抜き豆腐」、煮きった酒に浸してトロ火で煮こむ「カスティラ豆腐」。どちらも、スがたってスポンジ状になるまで煮るのがポイント! 「豆腐は決して煮過ぎない」という現代の常識など、ものともしません。また、茶色くなるまで茶で煮てから醤油味で煮直す「茶豆腐」や、高価な油で揚げたのに外皮をわざわざ剥き取ってから湯で煮る「鞍馬豆腐」なども・・・せっかちな江戸っ子が実行できたのか心配です。
第1番手を務め、いちばん多く登場するのが「田楽」。『田楽踊り』の芸人が竹馬1本に乗って跳ねる姿が串刺しに似ていたのでこう呼ばれたそうです。
最後の100番目を飾る「うどん豆腐」とは、うどんのように細く切った豆腐。ところてんの突き出しでお湯の中に放つとよいとアドバイスがあります。つけうどんのように食べます。「梨豆腐」は丸めて成形し布で包んで茹でたもの。「鶏卵豆腐」は人参を包んであり、切るとゆで卵のように見えるもの。「しべ(稲わら)豆腐」は細く切って焼き真ん中が空洞になったもの。「こほり豆腐」は崩して寒天で固めたもの。「雪消(ゆきげ)飯」はご飯・うどん豆腐・大根おろしの白色トリオ。「見立て」メニューは、目にも楽しいですよね!
現在も、さまざまなレシピブックやお料理サイトで『豆腐百珍』を模した新たな豆腐料理100選が企画され続けています。参考文献(リンク先)は、原書の全レシピを再現した写真付きの解説書。興味のある方は、ぜひ作ってみてくださいね。
『豆腐百珍』 福田浩・杉本伸子・松藤庄平(新潮社)