美しさに思いを託す ── 秋の月の詩歌
秋の月
今年の十五夜は、北海道の道南や道央・東北北部では美しい月を眺められたようですが、全国的に曇天模様。とはいえ、雲のカーテンから奥ゆかしい月の姿を楽しまれた人も多いことでしょう。
── 古代から人々は、まるでそれが空に浮かぶ鏡であるかのように、月にさまざまな象徴を見てきました。今回は、そんな秋の月に関する詩歌をご紹介します。
漢詩の影響
蕎麦(そば)の花
〈独(ひと)り門前に出でて 野田(やでん)を望めば/月明らかに 蕎麦(きょうばく) 花 雪の如(ごと)し〉唐・白居易の七言絶句「村夜」の後半部分
月明かりに照らされ、蕎麦(そば)の花がまるで雪のようだ、と歌っています。夢のようなロマンティックなイメージです。こうしたイメージは和歌になると次のようになります。すでに、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた「万葉集」でも、月の美しさは詠まれていました。
三日月
三日月から美人の眉が連想されています。
〈まどろまじ今宵ならではいつか見む黒戸の浜の秋の夜の月〉菅原孝標女
黒戸の浜(現在の木更津市)に昇る月を見るために、今夜は眠りたくない、というのです。
〈月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど〉大江千里
この歌では、「秋は誰にでもやってくるものだが、まるでこの秋の悲哀は自分ひとりにやってくるようだ」という、人間の寂寥感が重ねられています。
さまざまなシンボルとしての月
柘榴(ざくろ)
さらに「月の兎」「月の蟇」「月の鼠」「月の都」「月宮殿」などの言葉があるように、動植物や豪華な宮殿を創造することもあります。月は想像力の王国です。
ときには月のない夜が意味を持つようになります。俳句にも「無月」「中秋無月」という秋の季語があります。
〈杯中に無月のこころ閑(のど)かなり〉京極杜藻
〈月のなき夜の梢(こずえ)はしづかにて柘榴(ざくろ)は万の眼をひそませる〉中津昌子
前者の俳句は、杯に月が映りこまないので、月の美しさに心が乱されることなくのどかな気分だ、と言っているのでしょう。
後者の短歌は、柘榴は果実にたくさんの粒状の果肉があり、それが眼のように夜に光っているという光景です。ちょっと怖い短歌かもしれません。
また、俳句では次のように月は詠まれます。
〈月天心貧しき町を通りけり〉与謝蕪村
〈月光の野のどこまでも水の音〉及川貞
〈ほつと月がある東京に来てゐる〉種田山頭火
〈泣きに出て月夜はいつもいいきもち〉笹本秀子
〈かろき子は月にあずけむ肩車〉石寒太
9月に連続して発生した台風、そして秋雨前線……と不安定な天候によって「無月」の夜空が続きましたが、晴れた夜空に美しい月の姿を見られる日も多くなりました。
お月見ならずとも、帰宅途中などにふと夜空を見上げて、月に向かって思いをめぐらせてみてください