みんなが待っていた桜! 第十一候「桜始開(さくらはじめてひらく)」です
桜はなぜ「開く」っていうの? 「咲く」とはいわないの?
それは「開く日(ひらくにち)」という「縁起のいい日」という意味です。日々の吉凶を示した十二直(じゅうにちょく)という昔の暦に記されていたもののひとつで、「開く日」は結婚、旅立、芸事などすべての物事を始めるのにいい日という意味です。
「桜が咲く日」は春の始まりを実感する「縁起のいい日」という意味なのでしょうか。そういいたかった気持ちはよくわかりますよね。さあ、開花を待ちましょう! あなたのところではもう開きはじめましたか?
桜に魅せられた日本人の心は和歌に託されて…
京都 東寺の夜桜
平安時代末から鎌倉時代初めにかけて生きた歌人ですが、生まれは武士です。若くして出家し、隠者のように暮らしながら各地をめぐり多くの歌を残しました。桜を詠ったものも多いことが知られています。
「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」
ひとり静かに暮らす西行にとって、大勢の花見客は迷惑に感じられたのでしょう。そのことを「残念ではあるが桜の罪」と嘆いています。そぞろ歩きの花見ならばゆるせても大勢で押しよせられると困ってしまう、というのはわかるような気がします。
この歌から後に世阿弥は『西行桜』という能を一番作っています。そこで桜の精を登場させて「草木である桜に罪はないのですよ」と、京の花の名所を次々と謡いながら語り舞って西行を説得します。夢のような夜が明けるとひとり西行が残されています。桜の精と過ぎゆく春を惜しんだ西行の心が伺える作品です。芸の盛りを花にたとえて能楽の道を伝えようとした世阿弥ならではの一番、そうおもわれます。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
西行はこの辞世の歌のとおり、文治6年2月16日(1190年)に亡くなっています。花と歌に生涯を捧げた西行が語り継がれていくゆえんのひとつです。
桜が満開になると… 浮き立ちますね! ざわつきますね!
この作品からイマジネーションをかき立てられた劇作家がいました。野田秀樹です。学生時代に劇団を立ち上げ活動を開始し、日本のみならずロンドンなど世界で活躍しています。野田は安吾の『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』の二つの作品から『贋作(にせさく)・桜の森の満開の下』を作りました。野田らしい言葉遊びをふんだんにちりばめたセリフはテンポ良くリズムにのって俳優の口から飛び出し、ありえないようだがあったに違いない世界に賑やかに引きこまれ、やがて心の奥をのぞき込んでいく、独特の世界観が人々を惹きつけています。
桜は人の心をなごませ幸せにするとともに、美しさと儚さゆえに魅入られてしまう不思議な力をもっています。
「さまざまな事思ひ出す桜かな」
芭蕉のこの句には誰もがフッと立ち止まります。まるで自分を見かえる時間を与えてくれるような句です。あなたの今年の桜はどんな桜になりますか。