旅立ちの春~「弥生も末…」に込められた芭蕉さんの旅と春に思いをはせて
芭蕉さんも眺めたかもしれない、荒川の風景
当時、四十六歳になっていた松尾芭蕉。昨秋に前の旅から戻って間もない春に、またも旅心を抑えきれず、みちのくへと旅立ちました。気紛れな芭蕉さんの旅と春とは…?
旅に魅せられていた?~芭蕉さんと旅
今風に言えばこんな感じに、芭蕉さんは旅への想いを「おくのほそ道」の序章《発端》で語っています。
この頃、芭蕉さん四十六歳です。当時では年配と言っても過言ではありません…なかなか、元気で可愛いおじいちゃんだと思いませんか?…というか、旅をしなくちゃ生きてるって言えない!くらいの気持ちでいたのではないか?この告白からはそんな風に感じることができます。ただのお年寄りではない、このアクティブな生き方とベールに包まれた日常から、芭蕉さんは忍者だった?という説が生まれるのもうなずけますね。
芭蕉さんと春~旧暦の弥生も末の七日って今でいうといつ?
川面に揺れる菜の花
芭蕉さんは、《旅立ち》の中で、『上野・谷中の森に見える花の梢に今度はいつ会えるのかな…少し、心細くなってきたよ』などと、センチメンタルな言葉を残していますが、旧暦の三月二十七日は、新暦の五月中頃にあたります。ということは、上野の森の桜はとうに散っています。これは、心の中に桜吹雪が舞っているようだと言いたいのでしょうか?親しい人々との夜通しの別れの後、千住から歩き始めるのですが、あんなに「旅にでたいよぉ~」と思っていた芭蕉さんが、ここでは後ろ髪を引かれる風情でいっぱいです。矢立のはじめとして詠んだ句にもその想いがあふれているようです。
『行く春や鳥啼き魚の目は涙(ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)』 芭蕉
春が今まさに去ろうとしている。鳥の啼き声、魚の目がうるむ様子さえ、春を惜しみ哀愁にくれているようだ…と、旅立つ我が身になぞらえて句を作りました。この句が、この旅の矢立はじめとなったのですが、少し前までウキウキと旅支度をしていた人と同一人物とは思えない哀愁たっぷりの一句です。不思議ですね。
*「矢立(やたて)」…綿に墨汁をしみこませた墨壺に、筆入れの筒のついた携帯筆記具。矢立はじめは、旅日記のつけはじめの意味。
芭蕉さんに寄り添う、曾良と旅路のあと
深川から千住にかけて、芭蕉の心にフォーカスを充てた紀行文は、室の八島で長旅を共にする弟子の曾良の紹介とすることで、その後の二人のやりとりを、読者が自然に受け入れられる流れになりました。ストーリーテラーとしての芭蕉さんの筆の力を感じますね。
長い旅路の方々(ほうぼう)で、句碑や銅像が建てられています。その一つ、東京の荒川区・すさのお神社では、句碑だけでなく、芭蕉さんを記念した句会が開催されています。
その名も『奥の細道矢立はじめ』に参加できる!
紅白合戦…源平枝垂れ(桃)
すさのお神社は…
「紀行から百三十年後の文政三(一八二〇)年、亀田鵬斎ら文人たちの手により、旅立ちの地の鎮守 素盞雄神社境内に矢立初めの句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』の碑が建てられました。」(すさのお神社㏋より)
今年で二十二回を迎える俳句大会は、すさのお神社ご鎮座の千二百年を記念し、旅立ちの『弥生も末』に因んで平成五年より開催されるようになりました。
筆者は、昨年の二十一回大会の当日句会に飛び入り参加したのだが、大会が始まる前、境内では野点やお焚き上げ、時を告げる太鼓の音、源平枝垂れという名の桃の花に納められた多くのひな人形…と、俳句を作るにはうってつけの景色が広がります。
春の一日、芭蕉さんのはじめの一歩に思いをはせ、句作に興じるてみてはいかがでしょうか?
《参考》
「おくのほそ道」 角川ソフィア文庫
すさのお神社 公式㏋