6月27日は何の日?福沢諭吉の意外なエピソードとは?
明治7年のこの日、日本初の演説会をひらく
慶応義塾三田演説館
幕末の3回の欧米視察で西洋文明の知識を吸収し、維新後に慶應義塾を創設した福沢諭吉。speechを演説、debateを討論と訳した彼は1874(明治7)年、近代国家づくりに向けて必要となる西洋式スピーチとディベートの研究と教育のために、初期の慶應義塾入門生らと三田演説会を創設します。
第1回弁論会を開いたのが同年6月27日。これが日本での初めての演説会とされています。さらに公開の演説の場が必要と、福沢諭吉が全額負担した三田演説館が翌1875年5月に竣工し、定期的に公開演説会が開催されるようになります。明治10年代以降は自由民権運動の高まりもあり、各地でさまざまな結社による演説会が、一気に盛んになっていきます。
実はやんちゃで型破りな人物?
三田演説館の由来
自伝を口述して筆記をとらせた『福翁自伝』では、少年時代、長崎修業時代、緒方洪庵の適塾時代、三度の洋行から維新時代までの、主に前半生が語られています。貧しい中で寝る間を惜しんで勉学に励みながらも、塾の仲間とやんちゃしたりと、破天荒な行動力にはわくわくします。それでも己の信念を決して曲げず、一身独立のために直進する姿には学ぶこと多しで、『学問のすすめ』『福翁自伝』がセットで必読と言われることにも頷けます。
はじめて新聞に天気予報を掲載したのは?
続いて1884(明治17)年には国家事業として天気予報がスタートし、1888(明治21)年3月の『時事新報』はついに、国内市場初めて新聞紙上に天気予報を掲載しました。その後1893(明治26)年の元旦から始めたイラスト入りの天気予報が好評となり、現在のお天気マークの元祖となったそうです。日本での天気予報のスタートと福沢諭吉との縁には驚きますが、早くから天気情報の必要性に気付いていたとは、実学を重視した賢人ならではの先見の明ですね。
参考文献:
福沢諭吉 (著)『学問のすゝめ』 (岩波書店)
福沢諭吉 (著)『新訂 福翁自伝』 (岩波書店)