二十四節気「小満(しょうまん)」。何が「小さく満ちる」のでしょうか?
苦、死、秋。小満の候に衰滅のワードが「盈満」しているのはなぜ?
ニガナ
つまり小満は、太陽の気が一年を通じて最大値になる夏至に向かい、いよいよ万物がその気を受けて生命活動のクライマックス近くまで、言ってみれば「さあー、もりあがってまいりました!」状態の時期を意味します。
ところが、小満の三候は、特に二十四節気の本家・中国の宣命暦では、生命が満ち溢れる勢いに満ちた季節を表すにはあまりふさわしからぬ文字が目立ちます。まさか、不吉なものが横溢する節気ということ?それぞれ見て行きましょう。
中国宣命暦の七十二候では、初候「苦菜秀(くさいひいず)」次候「靡草死(びそうかる)」末候「小暑至(しょうしょいたる)」。
一方、本朝(和暦)七十二候は、貞享暦から略本暦まで変更なく統一されて、初候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」次候「紅花栄(こうかさかう/べにばなさかう)」末候「麦秋至(ばくしゅういたる)」。
ここまで中国暦と和暦が一切かぶらず食い違う節気は、この他には「霜降」の節以外にはありません。そして、宣命暦の初候・次候、本朝暦の末候に、衰滅を表す言葉が見て取れます。ただし、和暦の小満末候「麦秋至」は、「礼記・月令」の「孟夏之月」の項目に「靡草死、麦秋至。」とあり、ここからの引用であり、「靡草死」を削り、同じ文章内の「麦秋至」に入れ替えたものともいえ、つまり、本家の中国では小満のこの時期をまるで衰亡していく時期のように思わせる表現をしているのです。
苦菜、靡草。どちらもごく身近なあの野草のことだった
ハルノゲシ
苦菜也称苣荬菜、一年生草本、药名叫“败酱草”、异名女郎花、鹿肠马草、民间俗称苦菜、别名天香菜、荼苦荚、甘马菜、老鹳菜、无香菜等、为菊科植物苦定菜的嫩叶。
とあり、「敗醤草」というと、いわゆるオミナエシ、オトコエシ、カノコソウなどをさす場合もありややこしい(さらにややこしいのは、日本でオミナエシの漢字は女郎花です)のですが、ここで説明されている植物はキク科であり、ノゲシまたはハルノゲシ(野芥子 Sonchus oleraceus)のこと。日本全土に普通に生える典型的な「雑草」のひとつとして、ほとんどの人は道端や空き地、野原などで目にしている草ですが、もともとは麦の伝播とともに中国から渡ってきた史前渡来の帰化植物です。花はタンポポをこぶりにした感じで、枝分かれしていくつも咲きます。咲き終わるとやはりタンポポのように白い綿毛のついた種を球状につけます。
乾燥した全草は五臓六腑の邪気を払い、炎症の抑制、抗がん作用があるといわれます。かつ無毒で鎮静作用があり、身を軽くして老化防止、滋養強壮の効果まであるという万能薬の一つとして有名。
そして漢方医学では、体に熱がこもる夏には心臓に負担がかかるため、心臓が好むとされる苦味を採ると良いとされます。苦味は体内の熱を下げ、消化を助けます。中国では生の野菜(野菜は日本で言う食べられる野草のことです)を加熱調理して盛んに食事で食べます。このように、夏に必須とされる苦菜=ハルノゲシが大きく成長してくる、ということは、つまり夏の準備が整ったことを表わしているわけです。
日本でも、戦中戦後の食糧難の時代にはもちろんこのハルノゲシは食べられていて、陸軍獣医学校の「食べられる野草」には、「軽く火にあぶりて苦味を取り去り、飯に混ぜ、または茹でて蔬菜とする。佳味である。」とあり、現代でも、苦味はあってもアクがなく、美味しい野草として知られています。
麦ばたけ
春を通して咲いたナズナが枯れ、完全に春が終わる=死、という表現につながるわけです。
そして末候は「小暑至」つまり熱い季節がやってくる、ということになるわけですが、ここは「礼記・月令」の文章どおり、「麦秋至」とするほうがしっくり来るし美しいように思います。なぜあえて「小暑至」としたのか(夏至の次に来るのが小暑にもかかわらず)謎です。そこで小暑至を麦秋至に入れ替えて三候をつなげてみると、
夏草のノゲシがぐんぐんと丈高く伸び、春のナズナは枯れ落ちて朽ちる。そして麦の穂が実り麦秋を迎える。
五月後半は麦の収穫期。この時期の麦畑は黄金色に色づき、秋の稲刈り前の田んぼのよう。ゆえにこの時期をご存知のように「麦秋」と呼ぶわけです。
和暦初候「蚕起食桑」。かつて日本経済は蚕に支えられていた!
江戸前期の頃の貞享暦編纂者・渋川春海には、その後の養蚕の発展は知る由もないことだったでしょうが、このようにして見ると、「小満」の初候としてふさわしい設定だったかもしれません。
十渡的美味野菜:苦菜|苣荬菜