絢爛でありながら寂し気な紅葉 ──「かえる手」の楓、他いろいろ
神秘の天然湖「白駒池」の湖面に映える、北八ヶ岳の広大な原生林の紅葉
これからは、日本列島全体が艶やかな色に染めあげられます。今回は、日本人の自然に対する感性の大きな部分を占める紅葉の詩歌をご紹介します。
紅葉の代表格・楓(かえで)
まるで手のひらのようなかたちをしている楓(かえで)
一般に庭木として人気が高まり、さかんに植えられるようになったのは江戸時代中期頃のこと。イロハモミジ、大型のオオモミジ、ヤマモミジなどの品種があり、明治期には200種を超えていたといいます。楓は葉がまるで手のひらのようなかたちをしているため、楓の古い呼び方に「かえる手」という呼び方もあります。
紅葉といえば普通、楓のことを指しますが、桜や銀杏、合歓(ねむ)、葡萄、柏、白樺、柿などの樹木の葉も変色するので、それぞれの名前をつけて「~紅葉」と呼ぶこともありますし、雑木紅葉といった言い方もあります。
もみじは紅か黄色か
昭和記念公園(東京都 立川市・昭島市)の黄葉
しかし、文化的に紅葉が尊重されるようになったのは、やはり中国からの影響が強いとされます。ところが、「紅葉」という書き方(表記)は、主に平安時代になってからで、それまでは、もみじは黄色で表現されることが多く、「黄葉」という表記が中心でした。中国・前漢(紀元前2世紀頃)の詩には、
〈秋風起こりて 白雲飛び 草木黄落(こうらく)して 雁 南に帰る〉(武帝「秋風の辞」)
という表現があり、こうした習慣に影響されて「万葉集」でも次のような歌にはもみじは「黄葉」と表記されています。
〈経(たて)もなく緯(ぬき)もさだめずをとめらが織れる黄葉に霜やふりそね〉大津皇子
縦糸もなく横糸も定めずに、おとめたちが織った紅葉の錦に、(せっかくの黄葉が枯れてしまうから)霜よ降らないでおくれ。── と、黄葉を織物に見立てて、その美しさを詠っています。
こうした表記には、「紅」の色彩表現はもともと春に属する言葉であったので、秋には「黄」が使われたのではないかという説があるようです。その後次第に中国でももみじを「紅」で表現するようになり、日本でも平安時代以降、「紅」が主に使われるようになりました。
こうして、紅葉は、花、月、雪、時鳥(ほととぎす)と並んで日本の和歌の重要な主題となっていきます。秋の枯葉にもかかわらず、ものさびしさはあるものの、和歌の中では無常観などと結びつけられることはそれほど多くないようです。
文芸や美術の主題にもなる紅葉
日本が誇る美の世界「琳派(りんぱ)」
〈── 四方(よも)の梢(こずえ)も色々に、錦を彩る夕時雨(ゆうしぐれ)、濡れて鹿のひとり鳴く、声をしるべの狩場の末、下に面白き気色かな〉
この他にも紅葉は琳派の絵画や近代の日本画などに描かれるばかりではなく、小袖の装飾、蒔絵の文様などとしても菊や桜、月などと並んで多く使われています。したがって、桜や月などと同じく、紅葉は日本人の自然に対する感性の大きな部分を占めているといっても過言ではないでしょう。
新潟・中野邸記念館の良寛展
良寛が暮らしたとされる五合庵(新潟県燕市国上山)
現在、中野邸記念館では越後生まれの禅僧・良寛の展覧会が開かれています(11月末まで)。
公益財団法人中野邸記念館
そういえば、良寛にはこんな紅葉を詠んだ、辞世とも言われる句があります(良寛の句ではないという説もあり)。
〈裏を見せ表を見せて散る紅葉〉
── 紅葉の絢爛(けんらん)な色彩も素晴らしいのですが、どこか寂しげな紅葉のイメージも心に染みるものがあります。