ダイアナ妃の死から20年。「自分がすべきことは、愛すること」
ダイアナ妃の葬儀が行われたウェストミンスター寺院
夢がやぶれても
『キャンドル・イン・ザ・ウインド 1997』。ダイアナ妃の葬儀で、友人だったエルトン・ジョンがこの曲を歌いました
ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales 1961年7月1日〜1997年8月31日)は、イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の三女として誕生しました。1981年、20歳の時にチャールズ皇太子と結婚、彼との間にウィリアム王子とヘンリー王子が誕生するものの1996年に離婚。おとぎ話のようなロイヤルウェディングからはじまった15年間の結婚生活は、王室での孤立、夫の不倫、自身の恋愛スキャンダルなど、夢に見た幸せな結婚生活とは程遠いものでした。
嫁ぎ先での無理解と重圧、結婚当初からの夫の浮気。このような究極の逆境にあっても、常に美しい笑顔と愛に満ちた行動で人々を魅了し続けたダイアナ妃。英国皇太子妃として、母として、そして女性として、なぜこれほどまでに自分を輝かせながら強く生き抜くことができたのでしょうか。
逆境のなかでみつけたもの
ダイアナ妃の最後の2年間を描いた映画『ダイアナ』(2013年)。主演はナオミ・ワッツ
慈善活動で病院や保護施設を訪れるとき、ダイアナ妃は王室の規定では着用しなければならない手袋をはめませんでした。妃が手袋をせずにAIDS患者と握手する写真は、「触れるだけで感染する」という世間の認識を覆すことになります。「自分がすべきこと。それは外に出て人々に会い、彼らを愛すること」という信念は、病と闘う子どもたちとの交流、ホームレスや性的マイノリティへの支援、地雷除去啓蒙といった幅広い活動へと繋がっていきました。
ダイアナ妃の行動は自分の心に正直に従った結果であって、決して慣例や表面的なものではなかったのです。それゆえ、世界を変える力を持ち人々にこれほど愛されたのでしょう。ダイアナ妃の遺志は、幼い頃から母の慈善活動に同行していたふたりの王子にしっかりと受け継がれています。
幸せを求める力
空想の世界に生きる女の子が、リアルな幸せをみつけるきっかけはダイアナ妃!?『アメリ』(2001年)
ダイアナ妃没後20年を記念して作られたドキュメンタリー番組で、ウィリアム王子とヘンリー王子は母としてのダイアナ妃についてはじめて語っています。ダイアナ妃が亡くなった当時、15歳と12歳だったふたりの言葉から浮かびあがるのは、悲劇のプリンセスではなく無邪気で陽気な素顔。いたずら好きで誰よりもヤンチャだったというダイアナ妃。そして、なにより愛情深かった母の姿です。「部屋の向こう側に母がいても、息子として母の愛を深く感じとっていたものです。」とヘンリー王子は語っています。母としてのダイアナ妃は、惜しみない愛情を注ぎ息子たちもそんな母を心から愛していたのですね。
2001年公開され大ヒットしたフランス映画『アメリ』。現実の世界になじめない空想好きな女の子が主人公です。1997年8月31日、アメリが23歳のときに事件が起きます。ダイアナ妃事故死のニュースに驚いたアメリは、持っていた化粧水のフタを落としてしまいます。ビー玉のように転がったフタが当たったはずみで壁に隙間ができ、その奥から40年前の少年の宝箱が出てくるのです。その箱をかつて少年だった持ち主に返すことができたら。思い切って行動に出たことから、アメリは自分の世界を飛び出し、現実の世界で幸せをみつけるのです。
『アメリ』の公開時のキャッチフレーズは、「幸せになる」。誰かを幸せにすることで、自分も幸せを感じる。勇気をもって行動することで、幸せになる。ダイアナ妃の死は悲劇的であっても、その生涯は世界に前向きで温かいメッセージを発信し続けていました。それは、どんな時でもまわりを幸せにすること、自分の幸せをあきらめないこと。ダイアナ妃が世を去って20年。愛を求め人間らしく力強く生きた姿は、今も変わらず輝きを放ち人々を魅了しています。
『Diana, Our Mother, Her Life and Legacy』(Oxford Films / ITV / Drive Media Rights イギリス 2017年)
『DIANA - HER STORY』(KABOOM FILM & TELEVISION アメリカ 2017年)