ようやくこの夏も「処暑(しょしょ)」に。暑さやわらぎ、夏が逝くころ
二十四節気「処暑」……「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすればなり」
「処暑」の「処」という漢字は、人がひじ掛けに休んでいるさまを表しており、文字どおり「処暑」とは、暑さが落ち着き休まるという意味。暦便覧でも「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすればなり」と記されています。
また、「処暑」は、(立春から数えて)「二百十日」と「二百二十日」と並び昔から、今で言う台風──「野分(のわき)」のころ。暴風雨に見舞われやすい時節ですので、くれぐれも天候に注意してお過ごしください。
「邯鄲(かんたん)」「鉦(かね)たたき」「草ひばり」など秋の虫たちの声に耳を澄ませば……
松虫、鈴虫、クツワムシ、はたおりきりぎりす、邯鄲、鉦たたき、草ひばりなど、さまざまな名で呼ばれる虫たちの声を聞く「虫聞き」へでかけるのも、いにしえより続く晩夏の風物詩。花見や月見に並び、江戸時代には盛んに行われていたようです。
風流な人々は豊かな自然が息づく野山に筵(むしろ)などを敷き、盃を交わしながら、さまざまな虫たちの声に耳を澄ませ、夜が明けるまで秋の音を愛でたのでしょうか。
そんな小さな虫の歌を愛したことで有名なのが、かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。「草ひばり」という小品に、
~いつも日が沈む時分になると彼の極めて小さな魂が目を覚ます。そうなると部屋中にえも言われぬ美しさを湛えた繊細で神秘な音楽が広がり始める。極端に小さな電鈴(ベル)の響きとでも言おうか、細く、かぼそく銀(しろがね)のすずしい音色で震え波立つ調べを響かせる。夕闇が深まるにつれてその音は美しさを増す。時折りその音は盛り上がって家全体が小さな不気味な共鳴で打ち震えるように思われるくらい~
と記した八雲。秋が深まっても死なないよう、ストーブまでつけてこの体長約7ミリメートルほどの小さな虫の声をこよなく愛玩した、八雲の思いが綴られています。
都心でも草むらがあれば、かすかに聞こえてくる虫の声。涼気に誘われそぞろ歩き、そっと暗闇に耳を澄ましてみてはいかがでしょうか。
薄(すすき)をはじめ萩、撫子など秋の草花も咲き始めて
というト書で始まるのは、泉鏡花による「天守物語」です。
白鷺城の天守閣に残る伝説を舞台化としたと言われるこの物語。艶なる妖怪富姫と、若く凛々しい鷹匠・図書之助の恋が描かれているのですが、その幕開け、秋の七草の名がつけられた可憐な越元たちが、天空から優雅に釣竿を垂らしているのです。
棹の先の餌はなんと「白露」。そして、何が釣れるのかというと、秋の草花……。
(玉三郎さん主演の歌舞伎座の舞台で拝見したことがあるですが)
たおやかで繊細な秋の花々が次々と釣り上げられるシーンは、えにも言われぬほどの幻想的な美しさで、心に深い印象として刻まれています。
さて、あたりを見渡せば、いつの間にか薄(すすき)に萩、秋桜(コスモス)などの姿もちらほらと。
次なる節気「白露(はくろ)」の頃には、秋の気配がいっそう色濃くなっていることでしょう。
草ひばり(小泉八雲)、天守物語(泉鏡花)