七十二候「紅花栄(べにばな さかう)」。黄からくれなゐへ紅花の色が染まります
シルクロードを渡り5世紀ごろ日本へ渡来。染料や化粧品として古より人の暮らしを彩ってきた「紅花」
原産地はエチオピアからエジプト周辺とされ、4000年もの昔から薬用や染料として栽培されていました。やがてシルクロードを経て東へ伝わり、紀元前2、300年頃には北方の遊牧民族・匈奴の地にもたらされたとか。その領地に攻め入り、紅花の産地を奪い取ったとのが、前漢の武帝。紅花は染料のほか、高貴な女性たちの化粧品に用いられていたため、匈奴の王は、「我が婦女をして顔色無からしむ」と嘆いたといいます。
そんな紅花が日本へ渡来したのは5世紀ごろで、栽培法と染色法と共に伝わったそう。
輝くように鮮烈で麗しい紅色となる「紅花染」は、「藍」とともに最も親しまれる日本の色の代表選手、いにしえより歌に詠まれ、艶やかな衣を染め上げてきたのです。
「紅」「艶紅」「深紅」「韓紅」「今様色」「桜色」…紅花の花びらから生まれる色たち
紅花の花から染め上げられる「紅(くれない、べに)」のバリエーションも実にさまざまです。
たとえば「艶紅(つやべに)」は、紅花の色素を沈殿させた泥状のもので、黒味があるように見えるほど濃い赤色。白磁の皿などに塗ると、光線の具合で金色に輝きます。江戸時代以前には、この艶紅を口紅やほお紅として使用しています。
「深紅(ふかきくれない)」は、8日間ほどかけ染め上げた濃い紅色。唐の影響が強くなっていった奈良時代に、濃い紅花の赤をこう呼ぶようになった「韓紅、唐紅(からくれない)」。光源氏が最愛の紫の上に贈った可憐な衣の色「今様色(いまよういろ)」。ごく淡く薄く染めた「桜色(さくらいろ)」…
はんなりしたピンクから金色を秘めた紅色まで、一輪一輪摘んだ花びらだけで染め上がる紅花染。手間の数ほどに深く濃く発色していき、匂い立つようなグラデーションを描く色それぞれに、日本人が寄せてきた色への思い、繊細な色彩感覚を感じます。
生薬名は「紅花(こうか)」、英名は「サフラワー」。紅花は女性に優しいハーブ
古くは女性のほほやくちびるを染め、王朝時代の衣を染め、そして冷えた体を暖めてくれる植物・紅花の花が、色鮮やかに赤く染まる「紅花栄」の時節がやってきました。
日本の色事典(吉岡幸雄著)