七十二候<霎時施〜こさめ ときどきふる〜>もみじ染める雨は芭蕉のお気に入り
「梅雨」は春にも秋にも冬にもあったなんて
「月見草」ではなく
平安時代には「長雨とは3日以上続く雨のこと」という共通認識が成立していたのだとか。秋の長雨は「秋霖(しゅうりん)」ともいいます。雨が続いて止まない様子は「霖霖(りんりん)」。長雨をもたらす秋雨前線は、もともと梅雨前線より弱いものなのですが、この時期に台風がやってくると、とんでもない大雨に! 並外れた大雨は「鬼雨(きう)」、異常なほど長く続く雨は「狂霖(きょうりん)」などと呼ばれてきました。近年の豪雨には驚くばかりですが、「この雨は鬼のしわざか」「この長さは狂っているとしか思えない」などと人をびっくりさせる雨は、いつの時代にも降っていたようです。
もみじの赤や黄色は、時雨によって染まっていた!?
なすがまま…
神無月 時雨に逢へる もみじ葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに
(万葉集 巻第八)
10月の別称は「時雨月」というそうです。もみじは「もみず」が語源で、霜や雨などの冷たさに揉み出されるように色づくから、という意味だといいます。平安時代には「紅葉は時雨が染めるもの」という認識がありました。雨のあたり具合で色みが変わっていくのも一興。そして、秋の時雨によって鮮やかに染まったもみじ葉は、冬の風に吹かれて枝を離れていきます。どこにいても美しい姿でまわりの空気を和ませながら。
時雨は芭蕉のお気に入り! 旅にお似合いの雨だから
落ち葉時雨も濡れました
◇ 初時雨 猿も小蓑を ほしげなり
この作品はご存じの方も多いのでは。文学的な題材のひとつ「哀猿」は、晩秋に哀しい声で叫ぶサル(求愛行動のようです)。この作品のサルは、悲哀感はあまり感じられず飄々とした印象です。けれど、野性のサルが何か着たくなっちゃうくらい過酷な寒さの中で(人も)濡れそぼって耐えているんだな、冬はこうしてやってくるんだな…ということが、しんしんと伝わってきますね!
◇ 旅人と 我が名呼ばれん 初時雨
「人生は旅(キッパリ)」という人でした。その行程の、年齢に見合わないほどの距離とスピードなどから「じつは隠密だったのでは!?」というウワサまで。仮にミッションがあって出かけていたとしても、芭蕉さんは「望んで旅に出ていた」にちがいないと思うのです。常にフレッシュな俳句をつくるために。この作品の「旅人」には、どこか誇らしげな響きが。厳しく辛い冬がはじまるが、自分は自他ともに認める旅人なのだ! 泳ぎ続けるマグロのように、走り続ける自転車のように(当時はありませんが)、旅に出なければ死んでしまうのだ!! というような心意気が、感じられませんか?
◇ 笠もなき われを時雨るるか こは何と
自然からインスピレーションを受けて創作活動する人は、旅の辛さも芸の肥やし! 風雨や温度変化を皮膚でとらえ「来るぞ来るぞ来るぞぉ~、さて困ったことになりますよ」などと言いつつ、じつはけっこう楽しんでいたのでは…。独特の漫画っぽいユーモアをもつ芭蕉さんは、おしゃべりしたらきっと面白い人だったと思います。
寒さ厳しくなるけれど、楽しい季節がやってきます♪
バッグには衣類をもう一枚
<参考文献>
『雨の名前』高橋順子(小学館)
『空の名前』高橋健司(角川書店)