七十二候「大雨時行(たいう ときどきに ふる)」。雨に名前をつけるなら

雨あがりのプレゼント
涼を呼ぶ夕立。雨には呼び名がいっぱい

篠竹の束。降ってきたら痛そうです
古くは万葉集にも登場する夕立。
「夕立ちの雨降るごとに 春日野の 尾花が上の白露思ほゆ(夕立が降るたびに、春日野のススキに下りた白露を思う)」
などと、人にものを思い起こさせるアイテムともなりました。
夏のにわか雨には、いろいろ呼び方があるようです。
急に降ってきてカサがなく(または開く暇がなく)、ヒジをかざしてガードするから「肘笠雨(ひじがさあめ)」などと呼ばれることも。
篠竹(しのだけ。群生する細い竹です)を束ねて突き刺すように降るから「篠突く(しのつく)雨」。光って見えるから「銀竹(ぎんちく)」。勢いよく降りしきる雨の直線は、真っ直ぐな竹に似ているからでしょうか。もう少し細く、光る矢(箭)に見えれば「銀箭(ぎんせん)」。見た目の直径サイズにもこだわります。
矢があるなら、弾だって。「雨飛(うひ)」は、「風に吹かれて弾丸のように飛んでくる雨粒」と「雨のように降ってくる弾丸」などの様子を表す言葉です。
「白雨(はくう・しらさめ)」は、雹(ひょう)のことも指し、まわりが白くなって見えないほどの大粒の激しい雨のこと(葛飾北斎『山下白雨』が有名ですね)。そして「太い雨脚や地を叩くしぶきに、薄れた雲間から日が差して白く見えるような雨」だといいます。この図を皆で共有して頭に浮かべ、呼び分けてきたなんて・・・日本人の感性、すごすぎませんか。
現在の豪雨に似た?こわい雨はこう呼ぶ!

名前が危機感を表現!
例えば、群馬県の沼田市などで聞かれる「山賊雨」。
田んぼで稲を刈り取っていると、遠くで稲光が。まだ大丈夫と思っていても、三束も作らないうちに激しい雷雨! で、三束を音読みすると「さんぞく」・・・って、まさかのダジャレでしたか! ちなみに、ご飯やお茶漬けを三杯食べないうちにやってくるから「三杯雷」という地方もあるそうです。
長崎県南高来郡では「婆威し(ばばおどし)」。夕立がきたときに何か干していたら、今でも主婦(主夫)は大慌てですよね!
東京都八丈島では「脅し雨」と呼ぶそうです。
ところで、雷よけのおまじない「クワバラクワバラ」(若い方はご存じかどうか)の意味は、「菅原道真の領地・桑原には雷が落ちなかったのにあやかって」「桑畑のような低い茂みに避難しなさいという先人の知恵」等々、諸説あるようです。
雷をともなって降る雨はことさら恐ろしいものですが、「雷雨」とは、ゴロゴロ!という「音」を強調した呼び名なのだそうです。じゃあ、ピカッ!の「光」を強調したいときは? なんと「電雨(でんう)」という呼び名がちゃんとあるのです。
それなら「水」も? お洗濯するみたいにみんな洗い流してしまうほど降る雨を、「雨濯(うたく)」と呼ぶそうです。さらに、山形県西置賜郡には、 洪水になるほどの大雨を表す「大抜け」という言葉も。バケツの底どころではなく、空がぬけてしまうのですよ(怖)。
恵みの雨に名前をつけて感謝します

雨粒はいつも可憐ですね♪
「夏雨人に雨(ふ)らす」という諺は、夏の雨が涼をもたらすように、苦しみのさなかの人に恵みをもたらす、という意味。
「旱天の慈雨(かんてんの じう)」は、日照り続きだったところへ降る恵みの雨。ここから、困難なときに救いに恵まれること。また、待ち望んでいたものがかなえられること。
「慈雨」「喜雨(きう)」「錦雨(きんう)」。農家にとっては、夏に日照りが続けば、せっかく植えた作物が全滅してしまいます。雨乞いをし待ちわびて、ようやく訪れた恵みの雨に、人々は名前で感謝を表現したのですね。
待ち望んだ雨が降ると、近隣が寄り合って「おしめり休み」「雨遊び」「雨祝い」「雨喜び」などで喜びを表す風習が、いまも各地に残っているといいます。
呼び名を通してさまざまな雨の個性と交わってきた、日本人。こんど雨が降ったら、ぴったりの名前を考えて雨にプレゼントしてみるのはいかがでしょう。そしてふだんの災害対策も忘れずに、雨とよい関係でいたいですね。
集中豪雨や局地的豪雨も、やがて人との関係が進化したとき、すてきな名前で呼ばれているかもしれません。
※一部記事を修正いたしました。
『雨の名前』高橋順子 (小学館)