『モネ展』開催中! 季節を映す水鏡。描かれてなくても日本人にはわかる?
水面の紅葉
印象派はアウトドア派! 太陽の下で見えた感じを大切に
日本は明治維新の19世紀後半。フランス画壇では、それまでの古典主義的な遠近法や画面構成、さらには精神性・社会性・写実性などから自由になって、見えたままを素直に描いちゃおう!!という「印象主義」が、展開されようとしていました。
その大きな特徴は、画面が明るいこと! 絵の具って、混ぜれば混ぜるほど、どよんと暗く濁っていきますよね。そこで、絵の具じたいは混ぜ合わせずに「見る人が目の中で色を混ぜ合わせる」という『色彩分割』(絵の具を原色のまま細かく並べる) 技法を使っています。遠くで鑑賞するほうがわかりやすい絵になるのは、こんな事情からなのですね。
ものの形よりも、光の変化や空気の震えといった「一瞬の印象」を再現しようとした彼ら。
この頃アメリカで考案された、チューブ入りの絵の具も影響しています。それまでは、風景画を描く場合でも、スケッチした後はアトリエ(暗め)で制作するのが普通でした。それが油絵の具を持ち運べるようになり、太陽の下で見える明るさそのままを、おでかけ先で表現することが可能になったのです!
とはいえ、そんなふうに絵の具をパパッと置いた輪郭線も曖昧な感じの絵は、古い画壇にはなかなか受け入れられませんでした(きっと「真面目に描いてんのかこれ」くらい思われていたことでしょう)。美術史上の「印象派」は、1874年、当時の官展(サロン展)に落選した若い画家たち(モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌら)が独自に開いたグループ展が始まりといわれます。『シャリヴァリ』紙の美術記者がモネの作品『印象・日の出』(1872年)に対し、非難と嘲笑をこめて「印象主義者の展覧会」といったのが命名の由来・・・「描きかけの壁紙の方がまし」とまで罵倒されて、かえって有名になり、近代絵画の最初のグループ名として定着したのでした。
動く蒸気に萌え、駅のそばで寝泊まりする「描き鉄」?
D51の蒸気。石炭萌えてます
都市の風景を変えた「鉄道」という新しい主題に魅せられたモネは、駅に近いモンセー通りに部屋を借りて本気で制作に取り組んだといいます。「撮り鉄」ならぬ「描き鉄」生活ですね。
モネに限らず マネやカイユボットも当時この駅を描きましたが、それは人物中心のいわゆる風俗画でした。一方モネは、機関車から立ち上る蒸気そのもの、その光の効果に関心をもちます。同じ駅が瞬間ごとに見せるさまざまな様相をカンバスに捉え、機関車のもつ「時間」を表現。絵を見ていると、蒸気がまるで動いているかのよう・・・まさに写実です。モネは若い頃、優れた風刺画家として稼いでいたそうです。一瞬で印象を捉える卓越した眼力は、その頃からすでに発揮されていたのですね。
しかもこの絵は当初、印象派の名の由来となった『印象、日の出』よりもずっと人気があり、評価されていた作品でした。持ち主の元には 多くの展覧会から出品の依頼が届き、貸し出しにあたっての保険の資料には『印象、日の出』の2倍もの評価額がつけられていたそうです。
モネは43歳のとき、パリから約80キロ離れたジヴェルニーに 家族とともに移り住みます。浮世絵に影響を受け、和物好きのモネは、なんと自宅の庭に睡蓮の池や太鼓橋まで造ってしまいました。「生きたカンバス」として生涯制作の源となる地。モネは『睡蓮』を題材に200点以上の作品を残します。水面に反射する光と「すべてが映っている」水鏡をひたすら見つめ、描き続けました。日本人も、この季節には『床落葉(ゆかおちば)』といって床に映り込んだ紅葉を愛でたりします。日本的な時間への美意識や感性がぎゅっとつまっているから、これほど日本人のハートをわしづかみにするのかもしれませんね。
その眼力は、同じ題材の時間ばかりか時代感までも、色と光だけで描き分けることができました。
「モネは一つの目に過ぎない。しかしそれは素晴らしい目だ」(セザンヌ)
視覚で描かれなかった睡蓮が、ちゃんとわかる不思議
高知県にある「モネの庭」も人気です
展覧会では、モネのかけていた不思議なメガネも展示されています。まるいレンズの、右は黄色がかった分厚い凸レンズ。左はなんと不透明! これは左右の見え方の違いから生じる二重像を防ぐためなのだそうです。画家として目を庇うあまり手術を拒否し続けたモネでしたが、その頃オランジュリー美術館の『大睡蓮』制作の必要にせまられて、83歳でようやく手術を受けたのでした。術後「青が強く見える」と訴えるモネに医師が勧めたのが、このメガネだったのです。
最晩年の作品は、それまでの繊細な色調とは異なり、赤・オレンジ・青・緑など、荒めのタッチで濃密に重ねられ、抽象的なモダンアートに近い様相です。 線もほとんど感じられず、見えなかったんだろうなあ・・・と思いきや、じつは至近距離ははっきり見えていたらしいとのこと。もしそうなら、モネは確信をもってこのように攻めたのですね。
一瞬何だかわからない絵なのに、タイトルを見ればそう見えてくるのがちょっと不思議ですが、その対象に向かったときの感覚が共有されているということでしょうか。作品を遠くから見れば その「時間」が、近くで見れば 筆跡にこめた「情熱」が・・・絵画で繋がる感性は、視覚だけではなさそうです。色も構図もすでに超越して、研ぎ澄まされた身体感覚で付けられた筆の迫力!繊細なモネしか知らないという方も必見です。
モネは1926年、86歳で亡くなります。その翌年にオランジュリー美術館の「モネの部屋」が公開されました(友人いわく「色の中に沈む感じがする」感動を味わえる展示だそうです)。
東京展でも、広い情景の一部分を切り取ったような睡蓮の作品からは、描かれていない広い広い空間が感じられます。観る者が絵の中に入っていくというよりは、絵が広がって観る者を包み込むような世界観・・・悲しみはたくさんあるけれど、それでも地上の生活は楽しい。そんなメッセージが聞こえてくるような気もしたのです。
東京展での展示はすでに終了している『印象、日の出』は現在、所蔵の「マルモッタン・モネ美術館」に帰宅中。年が明けてからあらためて来日し、福岡・京都・新潟での『モネ展』を巡回する予定だそうです(詳細はリンク先参照)。モネの色に包まれに会場へ足をはこんでみては。東京展お帰りの休憩には、同じ上野公園内にある国立西洋美術館「カフェすいれん」などいかがでしょう。
『続名画を見る眼』高階秀爾(岩波新書)
『巨匠に教わる絵画の見かた』視覚デザイン研究所編