初夏の銀座に明治と令和の風が吹く~資生堂ギャラリー 荒木悠展
トピックス
荒木悠「The Last Ball」2019 映像 撮影:加藤健
初夏の日差しがまぶしい季節になりましたね。先日、銀座を歩いていたところギャラリーに立ち寄りたくなり、資生堂ギャラリーへ向かいました。現在開催中の荒木悠展 「 LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」では、フランス人作家、ピエール・ロティが書いた紀行文「江戸の舞踏会」と、芥川龍之介の小説『舞踏会』を下敷きにした作品を中心に、明治と現代という時代を超えて紡がれた映像が待っていてくれます。芥川と言えば最近、とても可愛らしいラブレターを残していたことが話題になりました。ご存知の方もそうでない方も、小説家芥川龍之介の世界観を「今ならでは」の表現で感じられる展覧会です。
一歩足を踏み入れたら
資生堂ギャラリーエントランス風景 : 筆者撮影
銀座7丁目・花椿通りに面した入り口から、地下へ向かう階段を一足ずつ進むと、まっすぐな階段の真下に見える踊り場には、紅い絨毯*1を敷き詰めた空間に、流線形のシンプルなシャンデリア*2と鏡*3が展示されています。そう、これらは展覧会を演出する小道具なのです。この空間は階下の吹き抜け部分にあたり、メイン展示を上から観賞することができるのも面白いところですね。この先に続く階段を降りると、「舞踏会」が始まります。 【註:作品名】 *1 《Product Placement Ⅳ(紅い絨毯)》 *2 《Product Placement Ⅱ(シャンデリア)》 *3 《Product Placement Ⅲ(鏡)》
音に包まれて「見る」「感じる」「想像する」
福原信三《ヘルン旧居》(『松江風景』より)1936 写真 : 筆者撮影
仕切りのない空間に大きなスクリーン、天井から吊るされたモニター、その両方に浮かぶ映像。映像の中にはロティと芥川が描いた「舞踏会」の1シーンがあります。ですがちょっと違う。レトロな洋館の一室でダンスをしている男女はお互いにスマートフォンで相手を映し合っているのです。ワルツの音の中でこの映像を見つめながら、なんだかすごいものを見ている、と思いました。まさに、明治と現代がコラボしているのです。20世紀から21世紀は写真から映像へ、アナログからデジタルへ、と表現方法が進化したことが一瞬にして伝わってきました。次の空間には造形と写真、写真と映像の展示となっています。写真は資生堂ギャラリーの創設者・福原信三が写真家として撮影した「ヘルン旧居」*4です。なんでもない風景を、斜めに横切る光が印象的なこの写真作品は、荒木の映像との対比として見ることもできますし、ギャラリーの創設者へのリスペクトと取ることもできます。実際、個展にまつわるインタビュー(花椿№823)で、福原信三を評して「…アメリカの合理性を経営理念に、ヨーロッパ文化から受けた美意識を資生堂に取り入れた」と語っています。 【註:作品名】 *4 福原信三《ヘルン旧居》
視線と視点の妙
荒木悠展:LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ 会場風景 撮影:加藤健
作品数こそ少ないですが、それゆえにひとつひとつの作品との対話は密度が濃く、その場所にいるだけで得も言われぬ感慨に浸ることができるでしょう。芥川龍之介が小説『舞踏会』を執筆してから約100年後の2019年、この作品をを原作として荒木悠は21世紀ならではの視線と視点を映像化したというのも不思議な縁ですね。 「東洋と西洋」、「20世紀と21世紀」、「写真と映像」などなど、さまざまな二つの物を同時に見ることができる本展に対し、荒木自身は「二つのことをひとつの視点から両方一度にみることがはたして可能だろうか」と問いを立て、「視点は一点に集中するものではなく、交換可能であり、重なりそして混ざり合うことによって活き活きとし、移ろいゆくものであると私は考える。」と述べています(展覧会リーフレットより)。 さて、私たちは荒木の問いにどうこたえることが出来るでしょう。鑑賞者がそれぞれに答えを出してほしい、ゆえに多くの人にシェアしたい展覧会です。
展覧会情報
外壁ウィンドウ Making 2019 スライド 撮影:西野正将
【展覧会概要】 会期:2019年4月3日(水)~6月23日(日) 開場:資生堂ギャラリー(詳細はリンクサイト参照) 【イベント】 5月31日金曜日に、銀座の主だったギャラリーが参加する「画廊の夜会」が開催されます。ギャラリーに初めて行く方にはおすすめのイベントです!詳細はリンクをご参照ください。
展覧会や歳時記など、芸術全般について観たもの・感じたことを綴ってまいります。好きな言葉:「余白」、「和み」、「うつろい」
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