「奇跡の人」とは、 実はサリバン先生のことだった!
ヘレン・ケラー像
先生であったアンも目の障がいをもち、劣悪な幼少期のなかで死を選ぼうとまでしていたのをご存知でしょうか。また、ヘレンの生涯を描いた、ブロードウェイの戯曲の原題は「The Miracle Worker」(邦題「奇跡の人」)、これはヘレンではなく、実はアンの偉業をたたえるものでした。
4月14日は、アン・サリバンの誕生日。今回は、「The Miracle Worker」としての足跡をたどってみましょう。
天涯孤独、目の病気が悪化したアン・サリバン
極貧、孤独の上に目の病……
1866年、アン・サリバンはアメリカ、マセチューセッツ州の貧しい農家に生まれました。幼少期にかかった病気が原因でアンは視覚が不自由になりました。その後、父であるトーマスはアルコールにおぼれ家庭を顧みず、貧しい暮らしの過労がたたり母親は病気で亡くなってしまいます。目に病を患った娘と、幼い息子の面倒をみきれなかったのでしょう、父トーマスは姿を消し、アンと弟ジミーは救貧院に入らざるをえなくなってしまいます。
そし病弱だった弟ジミーが、救貧院に入院してまもなく亡くなってしまいます。母と弟の死、父の失踪、劣悪な救貧院の暮らし……容赦ない不幸が、幼いアンに次々とふりかかりました。
そして、生きる希望を失った絶望のためか、もともと患っていた目の病気が悪化し、アンはついに全盲に近いほどになってしまったのです。
看護師の手厚い対応で心を開くアン・サリバン
聖書に心の目を開かれ……
そんな絶望のなかにいたアンに救いの手を伸ばしたのは、救貧院の看護師でした。彼女は昼休みになるとおやつを持って、アンに聖書の御言葉を話すようになりました。
しかしアンの反応は乏しく、笑顔とは無縁の固い表情を崩そうとしません。それでも看護師はアンのことをあきらめず、辛抱強くアンに語りかけたといわれています。そういった看護師の働きかけの甲斐もあり、アンは少しずつ心を開いていきました。その後、州の慈善委員会が救貧院を視察した際、「勉強をしたい」というアンの願いが聞き入れられ、視力の回復が見込まれなかったアンに盲学校進学の道が開かれます。
アンを導いたローラ・ブリッジマンとの出会い
ローラは2歳のときにかかったひどい猩紅熱(現在の溶連菌感染症)により、聴覚と視覚に障がいがありました。そして8歳のとき、パーキンス盲学校に入学します。
パーキンス盲学校の初代校長であるサミュエル・ハウ博士は、入学したローラに対し、科学的方法を取り入れ、ローラに点字や指文字を習得させることに成功します。ローラはヘレンと同じように目、耳、声の三重苦を負いながら、他人と会話ができるようになった世界で最初の人となったといわれています。
アンは盲学校に入学後、50歳だったローラと友人になりました。目が見えず、耳も聞こえないローラとのコミュニケーション手段は指文字しかなかったため、アンは自ずと指文字を身に着けていったのです。
ローラにアンが盲学校で出会っていたことが、ヘレンを教育するうえで、アンの大いなる自信と希望、熱意を呼び起こしたと言えるでしょうし、ローラとの出会いとその経験がアンがヘレンを教育する際にどれほどの力になったか、はかり知れません。
アンとヘレンに舞い降りた奇跡
ガバネスとは、家事や子どもの教育をする家政婦のこと。この仕事の仲介をしたのが、聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グレアム・ベルでした。みなさんも、きっとこの名前を聞いたことがあるはず。そう、仲介者は電話の発明者として知られるグレアム・ベルだったのです。
月25ドルという当時としては驚くほどの高給に、極貧生活でつらい思いをしてきたアンはすぐにその仕事を受けることを決めました。そして、赴任先のケラー家でアンは少女ヘレン・ケラーと出会います。
アンはこの時まだ20歳。パーキンス盲学校を首席で卒業した優秀な学生でしたが、教師経験は無論、教員資格もありません。一方、ヘレンは6歳。1歳7か月のときの病気で視覚と聴覚を失い、周囲の人に意思を伝えるのには身振りや仕草に頼るしかない、まるで野生児のような状態でした。
ここで、映画や舞台のハイライトシーンにも使われた有名な件(くだり)をあらためてご紹介しましょう。それは、
── 井戸のそばで、アンが水を流しながら指文字でヘレンの手のひらに「WATER 」と何度も綴り、ヘレンが手のひらで感じる「水」と、言葉としての「WATER 」とのつながりを理解し、すべてのものに名前があることを知った瞬間 ──。
これはサリバン先生とヘレン・ケラー、二人の出会いから、わずか1か月後のことといわれています。
手を流れる水に名前があること知ったヘレンが、「WATER 」という名前を理解した瞬間。それはきっと、盲学校を卒業したばかりのアンと、野生児だったヘレンに、人生の奇跡が舞い降りた瞬間であったのでしょう。
数々の困難に見舞われながらも、アン自身の努力と様々な出会いによって、偉業を成し遂げたアンの人生。まさしく、「The Miracle Worker」(邦題「奇跡の人」)と言えるのではないでしょうか。
・ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録 アン サリバン (著), 槇 恭子 (翻訳)
・ヘレン・ケラー (世界伝記文庫 25) 槙 恭子 (著)
・「NHKハートネット 偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの」
・「NHKハートネット 「私の魂の誕生日」ヘレン・ケラーとアニー・サリバン(前編)」
・「アン・サリバン」
・「Laura Bridgman(https://en.wikipedia.org/wiki/Laura_Bridgman)」
・「Anne Sullivan - Death, Helen Keller & Facts - Biography」
・「東京ヘレン・ケラー協会 ヘレン・ケラーの生涯」
・「たった一人の先生 アン・サリバン」
※5月10日、記事に誤りがありましたので修正いたしました。
※5月29日、記事の構成及び内容を修正いたしました。