努力の天才は借金の帝王!?──今日は野口英世の誕生日
千円札の顔は、英世お気に入りの一枚
東北の貧しい農家に生まれ、幼い頃、左手に大やけどを負った少年がハンディキャップをのりこえて医師に。やがて世界を舞台に活躍する学者になったサクセスストーリーは、あまりにも有名ですね。
不眠不休で研究したという英世は、「日本人はいつ寝るのか」と周囲に驚かれたほど。一方で、借金しまくり、不眠不休で放蕩の限りを尽くすという、真逆の顔もあったといいます。
野口英世とは、一体どんな人だったのでしょうか?
貧乏とやけどが、野口英世を強くした
近くに医者がおらず、手当てはごま油を塗っただけ……?
父、佐代助は大酒飲みで浪費家。おかげで働き者だった母、シカは働きづめ、その日暮らしの生活ぶりだったようです。
幼い英世が囲炉裏(いろり)に落ちて大やけどするのも、あまりに忙しいシカが目を離した隙に起きた事故。悲劇としかいいようがありません。
その左手は後に「てんぼう」(手ん棒=「手棒」の音変化。けがのため指や手がないこと)といじめられることになります。
極貧生活の上に「手ん棒」のハンデを負った英世。
母シカは、英世に学問で身を立てるよう、説き伏せます。
生来の頭のよさ、負けん気、そして、母シカの苦労を見て育ったこともあるでしょう。英世は、勉強でこのみじめさから脱出するしかない、と決意したようです。
当時の義務教育である尋常小学校で、成績は常にトップ。そんな英世が作文で、「いっそ自分の小刀で、この指を一本一本、切り離してやろう」── 切実な思いを告白したことで寄附金が集められ、左手の手術を受けてなんとか物をつかめるようになりました。
これを機に、医学の素晴らしさに目覚めた英世は医師を志します。
医師免許取得のための資金を、放蕩で使い果たす
ノーベル賞候補に三度も……
当時の義務教育である尋常小学校を終えた英世は優秀な成績を認められ、高等小学校に進みます。
家庭の事情で尋常小学校も中途退学する子どもがかなりいたと言いますから、貧しい英世が高等小学校に進学できたのは、たぐいまれなことでしょう。
また、医師になるには、大学の医学部を出て国家試験に合格しなければならない今日とは違い、当時は医術開業試験に合格すれば、容易に医師になることができました。
東京には済生学舎という現在の予備校にあたる大きな私塾があり、英世は恩師、恩人から借りた資金をもって上京、済生学舎に入ります。
見事、前期試験を一発合格したものの、放蕩のあげくに2カ月で資金が尽き、下宿から追い出されてしまいました。
またも恩師、恩人に世話をかけながら、苦労のあげく後期試験を受ければ、またも一発合格! 21歳で医師免許を取得します。
医術開業試験は、その合格のため「前期3年、後期7年」と言われるほどの難関、合格率は前期・後期ともに10〜20%程度だったそうですから、英世の天才ぶりがうかがえますね。
英世の中の「ジキルとハイド」
野口博士の仮面をはずすと……(怖)
「志を得ざれば再びこの地を踏まず」
故郷を出るからには成功するまで絶対に帰らないぞ、という強い決意を自分にも、家族にも言いきかせた言葉なのでしょう。
にもかかわらず、医術開業試験に合格するための資金を、2カ月で遣い果たすとは……。
それはまるで、ジキル博士とハイド氏のような二重人格?
英世は佐世助とシカという、まったく正反対な気性の持ち主だった両親の間に生まれました。特に青年時代の英世には、大酒飲みで遊び人の父、佐世助の面影が色濃くにじみ出ていたと言われます。
英世が佐世助の二の舞にならずにすんだのは、英世の中にこれとたえず闘い通した、シカの血が脈々と流れていたからなのではないかと……。
紙幣の顔になる条件
当時の英世は改名前の「野口清作」と、よく似た名前であり、また自身も借金を繰り返して遊郭などに出入りする悪癖があったことから、強い衝撃を受けて改名した、という説があります。
英世の結婚は34歳の時、酒場で働いていたアメリカ人でした。
英世は黄熱病の研究中に感染して51歳で亡くなり、死後、英世の遺言書には愛する妻にすべてを譲るとあります。そして借財はすぐに返すようにとも。
最後に、紙幣の顔に選ばれるには、三つの条件があるそうです。それは、
・世界に誇れる功績
・知名度
・特徴的な顔立ち(偽造防止の観点から)
英世は見事にクリアしていますね。英世にお金を貸した人は誰も英世を悪く言わないそうです。
天才科学者であると同時に、天才的な借金王だったのかもしれません(笑)。そんな英世が、千円札の顔になっているのは、何とも笑えますね。