6月の誕生石「真珠」、神秘的な輝きに秘められた謎
独特のやわらかい輝きは、真珠の持つ魅力のひとつ
日本では「花珠」と呼ばれる照りや粒の揃ったものが賞賛されてきましたが、最近ではさまざまな色合いのもの、形が不揃いなもの、それに淡水パールなど、カジュアルに使える真珠にも人気が集まっています。
人間が発見した最古の宝石のひとつともいわれる真珠。
「慎み深さ」や「清らかさ」の象徴として、また肌や歯の美しさのたとえにも用いられてきました。
今回は、真珠にまつわる古今東西のお話をご紹介します。
ひとつの首飾りを作るのに、どうして数年がかり?
真珠層の色合いが、真珠の色を左右する
そうしてできる真珠の大きさは、養殖真珠に慣れた私たちから見ると、とても小さいものだったようです。
同じ大きさの真珠を集めるのも、とても大変。粒のそろった首飾りを作るには、何年もの時間がかかりました。
現代の感覚ではとても想像できないほど、真珠は高価で、珍重されるものだったのです。
人間と真珠の関わりは古く、古代メソポタミアの時代にはすでに、真珠のアクセサリーを身につける文化があったといわれます。
古代ギリシャ・ローマでは、真珠は「最高の宝石」と称されていたそう。
古代インドでも真珠は最も重要な宝石と考えられており、やがて誕生した仏教では「七宝」のひとつとして大切にされました。
月の雫から生まれた? 放っておくとひとりでに増える?
それが聖母マリアの無原罪になぞらえられ、聖職者の装身具に真珠がよく使われるようになったと言われています。
ボルネオ島の真珠採取人は、米粒とともに真珠を瓶に入れておくと「新たな真珠ができる」と信じていたのだとか。
海から採った真珠を少しずつ貯めておいたら、いつの間にか数が増えていた……なんて夢のようなことが、昔はあったのかもしれません。
貝の中から見つかる、不思議な「白玉」
古代中国には、死者の口に真珠などの宝石を含ませて葬る「飯含」の習慣があり、この習慣は日本にも伝わりました。有名な「大化の改新」で薄葬令が出されるまでは、高貴な人の副葬品として真珠が用いられていたようです。
オリエントから運ばれる、貴重な富として
ひと口に「真珠」といっても、色や形、産地もさまざま
アラビアの馬、インドのスパイス、そして真珠……人びとは、東方からもたらされるこれらの品々に憧れたのです。
13世紀に至り、アジアを旅したマルコ・ポーロが著した「東方見聞録」には、「インドと日本で美しい真珠がとれる」との記述が。
以来、真珠を求める人びとの熱い視線が、はるか東方の島国に注がれるようになりました。
ポルトガルが、真珠採集が盛んだったインドを支配していた時代。
イエズス会の宣教師たちが、真珠採りに従事する人びとの監督を請け負っていたという話があります。
そういえば、イエズス会が日本で拠点にした長崎県の大村湾は、古くから真珠の産地として知られた場所。
かのザビエルさんも、布教のかたわら真珠を探していたのかもしれません。
昭和のある時期、「アコヤガイは日本の固有種」「真珠を生産できるのは日本だけ」などの説が出まわったそう。しかしDNA解析で、世界に分布するアコヤガイはどれも近縁種であることが明らかになってきています。
とはいえ、貝の個性や産地によって「純白」「クリーム色」「ピンク色」などの個性が現れるのが、真珠の奥深さ。産地にこだわって真珠を選ぶのも素敵ですね!
参考:ジョージ・フレデリック・クンツ(鏡リュウジ監訳)「図説 宝石と鉱物の文化誌 伝説・迷信・象徴」
L.クリス=レッテンベック、L.ハンスマン(津山拓也訳)「図説 西洋護符大全」(八坂書房)
山田篤美「真珠の文化史 富と野望の五千年」(中公新書)