天地始粛。朝夕がどかとよろしき残暑かな
牛部屋に蚊の声闇き残暑哉
・牛部屋に蚊の声闇(くら)き残暑哉
〈芭蕉〉
松尾芭蕉(1644〜1694)の晩年に近い作品ですが、この句の初案は「牛部屋に蚊の声よはし秋の風」。「秋の風」を「残暑」としたことで、むっとするような重い暑さが現れました。暗い空間の、蚊の羽音が耳に浮かんでくるようですね。
・草の萩置くや残暑の土ほこり
〈北枝〉
・さし鯖の油に残る暑さかな
〈帯路〉
・行雲のうつり替れる残暑かな
〈魚素〉
こういった一連の句にも、現代の私たちにも共感できる、気怠く続く暑さが表現されています。
・残暑をも推(おし)だす風のちから哉
〈貞徳〉
松永貞徳(ていとく)(1571〜1653)は、江戸時代初期に活躍した俳人、国学者。若い頃には豊臣秀吉の右筆、いわば書記係でしたが、関ケ原の戦い後は、私塾で和歌や俳諧を指導しました。江戸初期に、俳句を全国津々浦々にまで普及させた功績の人なのです。そんな貞徳も、鬱陶しい残暑を追いやってくれる風を、素直に詠んでいます。
吊革に手首まで入れ秋暑し
・朝夕がどかとよろしき残暑かな
〈阿波野青畝〉
「どかと」という形容が面白いですね。野太い残暑と、朝夕のしのぎやすさの対比が強調されて、実感が湧く句です。
・水を飲む猫の小舌や秋暑し
〈徳田秋聲〉
・吊革に手首まで入れ秋暑し
〈神蔵 器〉
・秋暑く雲の奔騰なほ続く
〈中村与謝男〉
・夕風に暑さ残りし石畳
〈小川濤美子〉
新涼や白きてのひらあしのうら
・新涼の牛がつれ泣く塩くれ場
〈松本進〉
・新涼の浅間晴れんとして蒼し
〈長谷川かな女〉
・新涼や白きてのひらあしのうら
〈川端茅舎〉
・益軒の養生訓や涼新た
〈星野麥岳人〉
・新涼や戛戛(かつかつ)と消ゆ木曾殿は
〈小池文子〉
先にご紹介した芭蕉の句と同じ「牛」を扱っても、「新涼」の中で詠まれるのは、生命の躍動感。古典の温故知新の発見も、新鮮に描かれています。実りの秋も間も無くと思えば、残る暑さも楽しく過ごしたいものですね。
【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 秋』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社)
『第三版 俳句歳時記〈秋の部〉』(角川書店)
秋の浅間山も楽しみに