旅するスーパーグレートマザー、与謝野晶子
浜松市 方広寺〔奥山のしろがねの気が堂塔をあまねくとざす朝ぼらけかな〕
晶子は女性史における明星でもあった
薩摩川内市 市比野温泉郷〔水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の見ゆれば原と思ふ湯場の夜〕
『みだれ髪』から有名な三首をご紹介します。
・その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
・清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
・やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
晶子が一家の大黒柱に
津軽海峡 立待岬〔啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと〕
晶子が、啄木を追悼した歌です。
・しら玉は黒き袋にかくれたり吾が啄木はあらずこの世に
パリへ、そして全国の温泉旅へ
伊香保温泉 石段街 晶子の「伊香保の街」の詩が刻まれている
すでに大正期から夫妻の旅行は頻繁にありましたが、子供たちが大きくなり独立し始めた昭和に入ると、頻度が急増します。特に昭和6年は、旅行回数が最多回数で13回、北海道から九州までの各地を訪問しています。弟子や土地の人に招待される巡業的なこれらの旅行を、夫妻は「旅かせぎ」と称し、子供の学費や新詩社の資金調達にあてました。東京での夫妻の歌会はサロン化し、のちにも名を馳せた小説家や文壇人、学者が出入りしていました。地方でも同じように、同じ空間で文化的な雰囲気を味わいたいファンが、夫妻を待ち焦がれていたのでしょう。
63歳に亡くなる前年まで、生涯の間に百カ所を超える温泉を訪れた晶子。箱根や湯河原など、毎年のように訪れた地もあり、各地で歌碑も建てられています。講演会・懇親会場あるいは、作歌指導や揮毫の場となった湯宿では、仕事でも多少なりとも、心身が癒されたことでしょう。「旅行をすると歌が出来る」とも、子供たちに語ったそうです。複合効果のある旅を遂行できる健康に恵まれていたのでしょうが、のちに子息が語ったように「苦労の連続だったが、よく頑張った」ことと予測されます。
元祖旅するブロガー?女性の自立を示したグレートマザー
高山村山田温泉高井橋 〔鳳凰が山をお於(お)へるおくしなの山田の渓(たに)の秋に逢ふかな〕
全国を旅して歩く合間にも、膨大な歌や、世間への評論を発表し続けた晶子。一連の活動を、移動サロンおよびコミュニティー活動と考えると、現代の旅するブロガーにも、通じるところがありそうです。この時代に子沢山の一家を養い、夫の活動の場も積極的に開拓した晶子は、まさにスーパー・グレートマザー。若い頃の奔放さのみならず、熟年後の実り多きライフスタイルのお手本としても、もう一度作品を読み直したいですね。
最後に、そんな晶子の余韻が漂う俳句をお届けします。
・音高く日傘ひらきぬ晶子の忌
〈渡辺千枝子〉
・大仏の若葉さやけし晶子の忌
〈野口里井〉
・晶子忌や針をつきさす赤い布
〈藤岡筑郎〉
【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 夏』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 夏』(講談社)
平子恭子 (著) 『与謝野晶子 (年表作家読本) 』(河出書房新社)
与謝野 光 (著) 『晶子と寛の思い出 』(思文閣出版)
杉山由美子 (著) 『与謝野晶子 温泉と歌の旅』(小学館)
島根半島 美保関灯台〔地蔵崎 波路のはての 海の気の かげろうとのみ 見ゆる隠岐かな〕