奈良七重七堂伽藍八重桜――俳句歳時記を楽しむ
八重桜ひとひらに散る八重に散る
では八重桜からご紹介します。八重桜はサトザクラの八重咲き品種の総称。桜の中では最も遅く開花し、色は白・紅・緑黄などで、ぼたんざくらとも言います。まずは、たいへん有名な芭蕉の一句をどうぞ。
・奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉 ※1
「七堂伽藍」とは、寺として具備すべき七種の堂宇(建物)で、一般的には金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂を意味します。とはいえ七は必ずしも数を意味せず、また宗派や時代によって対象の建物も異なるようですが、いわゆる施設の揃った荘厳な大寺を指すのでしょう。奈良には東大寺・興福寺・西大寺・元興寺・大安寺・薬師寺・法隆寺(または唐招提寺)の七つの代表的な名刹があり、通称「南都七大寺」と呼ばれます。百人一首にも編まれた、伊勢大輔による「いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重に匂ひぬる哉」からの連想もあったでしょう。先達や史実を意識しつつ、音韻や数の配置でボリューム感のあるゴージャスな奈良の光景を表現した、超絶技巧の句と言われています。
・八重桜日輪すこしあつきかな 山口誓子 ※2
・山に出て山に入る日や八重桜 成瀬櫻桃子 ※2
・八重桜ひとひらに散る八重に散る 山田弘子 ※3
・しだるるはこころ九重桜かな 松本千鶴子 ※1
八重桜が満開になる頃は、日差しはすでに晩春、夏に近づいています。盆地や平地から山に出入りする中で見た、花に注ぐ光も眩しくなることでしょう。そしてやはり芭蕉をお手本にしたかどうか、音や数を巧みな用法で使用し、余韻を深めた句も少なくありません。
藤棚の隅から見ゆるお江戸かな
・草臥(くたび)れて宿かる頃や藤の花 芭蕉 ※1
・藤の花雲の梯(かけはし)かかるなり 蕪村 ※2
・藤棚の隅から見ゆるお江戸かな 一茶 ※4
・滝となる前のしづけさ藤映す 鷲谷七菜子 ※1
・白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男 ※2
芭蕉の句は、一日の旅の疲れを抱え、宿に入る夕暮れに眼にした藤の花。蕪村は、藤の花の重なりを雲の梯に見立てています。七菜子は、滝に落ちる前の静かな清流に映った藤の花を表現。時間経過と川の状態の対比を盛り込んだ、素晴らしい句ですね。不器男も、風に揺れる藤の白さの中に透けて見えたのでしょう、新緑の薄緑色を定着させています。それぞれ多様な藤の世界を見せてくれていますが、一茶の気取らない一句は、即座に時代劇か名所江戸百景の画像が瞼に浮かぶ楽しさ満載です。
つつじいけて其陰に干鱈さく女
林檎の花もこれから満開です
・つつじいけて其陰(そのかげ)に干鱈(ひだら)さく女 芭蕉 ※1
・能登きりしま先代の地を燃やし咲く 海老名由美子 ※1
・吾子の瞳(め)に緋躑躅宿るむらさきに 中村草田男 ※1
・毛野はいま遠霞つつ山つつじ 野澤節子 ※3
・紫の映山紅(つつじ)となりぬ夕月夜 泉鏡花 ※4
躑躅の鮮烈な色や、文字通り百花繚乱な様子を描いた句が主流のようです。そんな中で芭蕉が表現したのは、つつじを生け、その陰で干魚を割く庶民の女性の、たくましくも奥ゆかしい世界。本当に芭蕉は奥深いですね。鏡花が描くのは、月の光の中に浮かび上がる紫の山躑躅でしょうか。五七五の短い世界でも如実に現れる、まさに鏡花ワールドです。
昔から日本人に親しまれてきた花々。咲き乱れる花とともに、新旧の俳句も思い起こしながら鑑賞すれば、一層鮮烈な五感の刺激となるのではないでしょうか。
<句の引用と参考文献>
※1 『花の歳時記 春 』(講談社)
※2 『読んでわかる俳句 日本の歳時記 春 』(小学館)
※3 『第三版 俳句歳時記〈春の部〉』(角川書店)
※4 『角川俳句大歳時記 春 』(角川学芸出版)