三夕の和歌で「もののあはれ」の秋に浸ろう

三夕の和歌とは、中世に詠まれた「秋の夕暮れ」テーマの歌

「さびしさはその色としもなかりけり真木(まき)立つ山の秋の夕暮れ」 寂蓮
「心なき身にもあはれは知られけり鴨(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ」 西行
「見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」 定家
三つの歌の意味を追ってみましょう。
秋の夕暮れのあはれの幽玄を詠う三首

大磯町の鴫立庵
特に紅葉ではないその色が寂しいという訳でもないのだけれど、真木の立つ山の秋の夕暮れは、どことなく寂しさを感じるものだ…という歌ですね。真木は槙ともいい、杉や桧など、常緑の高木のこと。あえて紅葉ではない常緑の色を秋の歌の主役にすることで、かえって対比や欠乏感が強調されています。
・心なき身にもあはれは知られけり鴨立つ沢の秋の夕暮れ
出家して風流を解せぬこの身にも、しみじみと「もののあはれ」は感じられるものだ。鴫が飛び立つ沢辺の秋の夕暮れには…という意味ですが、鴨が飛び立った後の秋の余韻を感じますね。「心なき」は漂泊歌僧、西行の謙遜です。大磯の海岸で詠んだという説があり、大磯町には、鴫立庵という300年以上続く俳諧道場もあります。
・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
見渡すと花も紅葉も無い。苫葺きのみすぼらしい小屋がところどころにあるだけの海辺の秋の夕暮だ…。そう詠んだ定家の歌。「さびしい」「あはれ」という感情・情緒表現は一切排除していますが、逆に一層わびしさ、哀しさを際立たせています。寂しい海辺の風景にある、花も紅葉も問題にならないほどの趣を表現した歌である、という解釈もあるほど。『源氏物語』の「明石」からイメージしたともいわれていますね。
新しい「もののあはれ」を発見してみよう
万葉集、古今集から新古今集という変遷の中で、日本の歌は変化を遂げています。素朴でおおらかな万葉集から、仮名文字など表現方法の広がった古今和歌集へ。そして歌にも次第に仏教思想が取り入れられ、新古今和歌集で、無常観は頂点に達します。
和歌は、古くて新しい世界。解説本にもバラエティがあり、和歌を題材にしたコミックにも、人気作品が目白押しです。来年はお正月の「百人一首」をきっかけに、和歌にもう一度親しんでみませんか。新鮮な「もののあはれ」を発見できるかも知れませんよ。
参考文献:角川学芸出版『新古今和歌集全注釈 二』