今年は10月25日。樋口一葉の『十三夜』で、懐かしくて哀しい時代に思いを馳せてみる

主人公お関が実家を訪れた思い
何も知らない両親は、お関を喜んで迎えます。庶民の十三夜の様子に描かれた、娘や孫を思いつつ遠慮している両親の思いが、切ないです。一部を引用しましょう(注:引用は旧かな使い)。
“今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを悪がつて其樣な物はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても悪るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事ができなんだに、今夜来て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう…”
離縁の決意を親に諭されて

聞いたお関の母親は憤慨します。お関が17の春の正月、通りがかった原田の車に落ちた羽根つきの羽根を、お関が貰いにいったことが見初められた発端。身分が違う、まだ子供で稽古事も仕込んでおりませんと何度も断ったのに、くれさえすれば大事にすると催促されて嫁がせたのに…
しかし、父親はお関を諭します。身分が高い夫はなにかと外の不満を家で当たり散らすこともあろう、山の手の暮らしができるのも夫のおかげ、同じ泣くなら母として泣け、と。お関も子のことを思い、自分さえ死んだ気になれば良い、魂が子を守ると思えば夫の仕打ちなど辛抱できると、婚家へ戻ることを決意します。
幼馴染との再会、そして別れ

後半の始まりの一文です。静かなもの悲しい月夜の、決意を秘めての帰路。たまたまお関が乗った人力車を引いていたのは、幼馴染の録之助でした。ふたりはひっそりと、お互いへの淡い思いを心に秘めていた仲。けれども問うお関に語る録之助のその後は、悲惨なものでした。
録之助はお関の嫁入り後荒れて放蕩に明け暮れ、家を潰して妻子にも逃げられ、やがて娘はチフスで亡くなった由。今や浅草の安宿でその日暮らし、無気力で投げやりな生活を送っていたのでした。
まさかの再会に驚いた二人ながら、もうお互いが全く別の人生を歩んでいることを知り、静かに別れていきます。「久し振りでお目にかかって何か申したい事はたんとあるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します」。お関の言葉です。
“大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。”
物語は、この文章で閉じられています。「村田の二階」とは安宿のいわば住所ですが録之助を指し、「原田の奥」はお関の意。最後まで二人の境遇をメロドラマ仕立てにしない、俯瞰した視点が冴えていますね。
一葉の凛とした諦観が十三夜にふさわしく
諦観にも似た孤独感、冷めた視線の中の、凛とした品格。そんな『十三夜』の世界は、まさに十五夜には存在しえなかった、冬へ向かう月のモードにふさわしい。今宵は、一葉を紐解きながら月を眺めてはいかがでしょうか。
参考と引用:樋口一葉『十三夜』新潮文庫