早春の野はカエルの大合戦の戦場に!二十四節気「啓蟄」
「啓」は「開く」、「蟄」は「蟄居」などの言葉にもなっている通り、「虫が地中などに隠れ閉じこもる」という意味ですから、「閉じこもっていた虫たちが(暖かくなって)這い出てくる時期」ということになります。そして、ここで言う「閉じこもっていた虫たち」の「虫」とは、昆虫や蜘蛛などの節足動物に限らず、蛇やトカゲ、カエルなどの爬虫類・両生類から軟体生物、コウモリやネズミなどの小型哺乳類まで含みます。
啓蟄のこの時期、冬眠から目覚めたヒキガエルたちにとっては繁殖の季節。池や水路などの止水域にたくさんのヒキガエルが集まり、くんずほぐれつの大乱交を繰り広げ、これを古くから「蛙合戦」と称しました。
繁殖期のオスはスーパーヒキガエルに。かわず合戦は一見の価値あり!
他のカエルほど水環境に依存せず、普段は畑などの農耕地や林の中、野原や公園など、土の裸出した地域一体の暗い場所に潜んでいて、夜間や雨の日などに時折現れ、ミミズや甲虫などの節足動物を捕食します。いわゆる日本家屋の縁の下や庭の茂みなども大好きな環境で、そのため昔からアマガエルなどとともに人家・住宅地でよく見かけられる身近なカエルの一種でしたが、縁の下のない家屋が増え、また、コンクリートや敷石などで土を覆う庭が増えるにつれて、全国的に数が減り、滅多に見られなくなってきています。
普段は水辺や水中には近づかないヒキガエルは、早春のこの時期から初夏にかけての繁殖期、池や掘割、湧水などの止水にぞろぞろと集まりだします。その水域は、彼らがオタマジャクシのときに過ごした、いわばふるさと。
水の中に入って、オス同士が上になり下になり争い、メスにむらがって、泥水を跳ね上げてくんずほぐれつするさまは、古来「かわず合戦」「カエル軍(いくさ)」と呼ばれ、早春の風物詩として有名でした。繁殖期のオスは、特徴である背面のいぼも目立たなくなってつるっと張った肌になり、体色も通常時の茶色っぽい色から金色もしくは黄色に変化します。とあるマンガになぞらえれば、さしずめスーパーヒキガエル状態。かわず合戦で受精したメスはほどなく産卵をします。卵は透明なゼラチン質のチューブに包まれた状態で数珠繋ぎのホース状に、水中に放出されます。メス一匹が一度に産む卵は2000~2万ほどもの数になります。
ヒキガエルの幼生期間は短く、2~3ヶ月ほどで手足が生えた子ガエルとなり、6月の梅雨時の雨の日、小さな体で水からすぐさまあがってきますから、あまり水に入っているのが好きではないようです。子ガエルたちは地上で小さな虫をもりもりと食べて、数ヶ月で三倍くらいの大きさに成長します。
ビッキ?ガマ?その名の由来とは
一説では、ヒキガエルには毒があり、食べたら墓場行きだ、ということで「墓」の「莫」部を付けた、とも、足を引きずるように歩くので「引き」とついたともいわれます。
ヒキガエルの「ヒキ」を「引き」とする説は他にもあり、ヒキガエルには特殊な呪力があり、獲物を幻惑して引き寄せて食べるから「引きガエル」なのだ、というもの。ヒキガエルはきわめて燃費のよい生活をしており、採食に出てくるのは半月に一度ほどで、しかもその時間は数時間。行動範囲も非常に狭く、大抵は出てきた場所からほとんど移動せず、その場で虫を捕まえて食べ、すぐにねぐらに引っ込んでしまいます。年間の採食(いわば仕事ですね)に費やす時間は合計でも100時間に満たないと言う、うらやましい限りのローコスト生活。こうした生態をみていて、ある種の魔法を使う仙人のように感じるのも無理はありません。
さらには、ヒキガエルの毒・ブフォトキシンには、ブフォニンという幻覚作用のある物質が含まれており、人間が吸収しても眼球振盪、瞳孔散大などとともに、知覚の一時的な変化(幻覚)が起きるといわれますから、小さな虫を引き寄せる呪術を使う、という見立てもあながち根拠がないものではありません。幻術を使う忍者の描写で、大蝦蟇(おおがま)と呼ばれる巨大なヒキガエルが登場することが多いのも、そうした幻覚毒をヒキガエルが持っていることが知られていたためでしょう。「耳嚢(みみぶくろ)」の著者である根岸鎮衛(ねぎししずもり)は、「蟇の怪の事」の中でヒキガエルの引き起こすさまざまな妖事を例示しています。縁の下に住み着いたヒキガエルが、その家の住人を縁の下に引き込み食べていたという話のほか、鎮衛自身が目撃した話として、ある日暮れ時、大きな毛虫が石の上を這っていたが軒下から現れたヒキガエルが、その毛虫から三尺(約1m)も離れた場所で口をあけていると、一瞬のうちに毛虫がヒキガエルの口に吸い込まれた、と記述しています。
ただし、これらのどれもが魅力のある説なのですが、「ヒキ」のもともとの意味は、その鳴き声から来ていると考えるのがもっとも自然ではないでしょうか。「ビググ・・・ビッググ・・・」と濁音の強い低い鳴き声をビギ、ビッキと聞き取り名づけられ、やがて清音化して「ヒキ」に。そこから後年さまざまな想像が付け加わったものと思われます。
そしてこの「ヒキ」はさらに、「蟇目(ひきめ)の神事」なる破邪の神事へとつながってゆきます。
月にはヒキガエルが棲んでいる?
大的式
そして、太陽にはカラスと蛇か棲むと言われたのと対比して、月にはウサギとヒキガエルが棲んでいるとされ、ヒキガエルは古来より月の眷族とされていたのです。新年の頃、カラスを描いた的を射る「オビシャ(御日射)」と蟇目神事とは、いわば日月のように裏表の関係にあります。「太陽を射る」ことに重きをおいたオビシャがおこなわれるのがあからさまに出雲・物部系の神社であるのに対し、「月が射る」ことに重きを置いた蟇目神事がおこなわれるのは、藤原系、徳川(白幡・源氏)系が支配・上書きをした神社である、ということはきわめて興味深い傾向です。ここには、ヒキガエルとウサギ-月である勢力と、ヘビとカラス-太陽である勢力との、日本文化の基層に隠された対立が、日月という天空のビッグ2に対比されて象徴され、しかも本来ナンバー1であるはずの太陽が隠蔽され、ナンバー2の月が支配している、という逆転した構造を暗喩し、示しているかのようです。
わかりやすい例として、東国を代表する武神を祭る二つの神宮、鹿島神宮と香取神宮があります。鹿島神宮では蟇目神事がおこなわれるのに対して、香取神宮ではおこなわれません。そして香取神宮の分社では各地でオビシャがおこなわれます。これは、鹿島神宮が藤原氏の氏神として完全に書き換えられ、大々的にタケミカヅチを祭ったのに対して、香取神宮はそれ以前の支配者・神である物部のフツヌシに配慮し、鎮めるための神社である、という性質の違いをあらわし、本来太陽であるものが裏に回り、月であったものが表を支配する、という姿そのものです。
徳川氏(白幡=宇佐=秦氏=源氏)が、物部の神を祭った栃木の日光と宇都宮の二荒山神社を徳川家康=東証大権現の聖地として書き換え、今では代表的な蟇目神事の神社として名を知られていることにもよくあらわれています。また、本来物部系である諏訪大社が蟇目神事(蟇目鳴弦)をおこなうことから、諏訪大社も藤原系に取り込まれていることがわかります(一方、諏訪大社の各地の分社ではオビシャがおこなわれます)。
「紅白」や「日月」「源平」などに象徴される日本文化の基層に脈打つ二つの系統の流れのからくりは、日本神話のアマテラスとスサノヲが行った誓約「うけひ」で皇統五男神と宗像三女神が交換(チェンジリング)されたことにはじまり、相克による取り込みや書き換えがおこなわれているので複雑で、よくよく考えないとすぐにさかさまになってしまう難物なのですが、いずれ少しずつ解き明かしていきたいと思います。
参考文献
図説・憑物呪法全書 (豊嶋泰國 原書房)