ハスは睡蓮ではなくマカダミアナッツの仲間?七十二候「蓮始開(はすはじめてひらく)」
ハスの花
悠久の生命力を保つハスの種子
こちらは睡蓮
ピンクのハスはローカ・パドマ(世界神の母)の象徴
ハスの花
盆花といえば桔梗やミソハギ、山百合などの総称ですが、ハスは別格の「常花」として、仏壇に金銀の造花が常に飾られ、仏具の台座は蓮華座となり、仏教においてハスの存在は仏の悟り(涅槃)そのものの象徴として別格の扱いとなっています。「蓮華」の言葉の通り、ハスもスイレンもともに「蓮華」で区別はなかったのですが、そんな時代でもやはりスイレンよりもハスはより高貴なものとして扱われ、白蓮を「プンダリーカ」といい、これは「妙法蓮華経」の原文「サッダルマ プンダリーカ スートラ(सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, (正しい教えである白い蓮の花の経典)」と同一であり、五色あると説明される蓮華の中で最高のものとなります。
一方、私たちが見る、より一般的な赤みがかったピンクのハスは「パドマ」といいます。これは、インド神話のヴィシュヌ神のへそから生じた「世界蓮」=ローカ・パドマと同一視されます。ローカ・パドマからブラフマー神が生まれ、世界の創造神となっていきます。ヴィシュヌから生じたローカ・パドマはまた、ヴィシュヌの妻・ラクシュミ―でもあり、この女神はブラフマーの母、つまり「世界の母」としてインドで崇拝され、ピンクのハスはその象徴でした。
かつては蓮の葉を蒸しあげ細かく刻んで炊き立てのご飯と混ぜた蓮葉飯(はすはめし)は、盂蘭盆、仏教祭礼の供物として作られていました。またこれをかゆにした蓮粥という料理もあり、お盆や仏教行事とハスは、切っても切れない深い関わりがありました。
優雅かつユーモラスな「象鼻杯」・「ハスッパ」の語源となった蓮葉売り・・・ハスの葉はさまざまに利用されてきた
ハス祭り
東晋の書家・王逸少(321―379)が会稽山の蘭亭で催した蓮を鑑賞する宴「曲水の宴」が起源ともいわれる象鼻杯(碧筩杯)。
大きなハスの葉を茎ごと手折り、ハスの葉のおもての、落ち窪んだ茎の付け根(荷鼻)に竹串で穴を2~3つほど開けます。そして手のひらでハスの葉を下から支えて持ち、そこに酒を注ぎます。そして、長い茎を下側から持ち上げて曲げて口に持っていき先端を吸います。すると、ハスの茎には気道があるため、開けた穴からストローのように気道を通過して飲むことが出来ます。象鼻杯をたしなむ姿は、楽器のチューバを吹いているようにも見えてちょっとユーモラス。蓮の葉の茎を切ると樹液のような苦味のある白い汁が出ますが、この汁が酒に混じり清涼感を感じることが出来るのだとか。ちなみに、この切ったはすの茎の気道のあいた切り口と、飲むときの屈曲した形が象の鼻のようであるため、「象鼻」杯というわけです。また、ご存知の通りハスの葉の表面には撥水性があり、酒を注ぐとキラキラとした銀に美しく輝きます。この輝きをながめつつ飲むのも、象鼻杯の楽しみ方だそう。
9世紀頃には、中国ではこうした観蓮節は夏の納涼の風物詩になるほど盛んであったようです。
ちなみに、この蓮の茎の汁はアボリジニの腹痛や解熱の薬だったといわれ、細菌、カビの繁殖を防ぐ松の葉や笹のような成分が含まれています。この殺菌成分と、水分をはじく性質を利用して、盆の供物を盛り供えるためのハスの葉を売り歩く季節行商が存在しました。ハスの葉は、盆の間だけ使われて廃棄されるため、ハスの葉のように短期間しか持たない粗製の安物や季節ものを扱う商売を総称して「蓮葉商い」といわれるようになりました。この蓮葉商いのように、気紛れで浮ついていて粗製なものを「蓮葉」というようになり、やがて、時代が下ると、言動が乱暴だったり浮ついていたりする女性のことを「蓮葉女」と侮蔑していうようになり、のちにこれがおてんばや行儀がなってなかったり不良っぽい娘のことを「蓮っぱ」と呼ぶようになりました。でもいまや、「蓮っぱ」という言葉自体が若い人には聞いたことすらない言葉になっているようです。まさに人の浮世は、「蓮葉商い」のようにうつろいやすいものです。
実際のハスの花は、三日咲き続けて四日目には散ってしまうというはかないものです。でもハスの花を見ると、現実の時間や空間から別次元にいるような不思議な気持ちになります。有名なハスの名所もいいですが、田舎道の小さなため池にフッと咲いているハスも、いいものですね。