雷様は稲の妻? 七十二候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」
春秋去来・山の神は春、里に下りてきて田の神となる
雷の別名は稲妻。そのままの意味では、稲の妻(奥さん)ということになりますが、「つま」とは古語では配偶者双方を指したので、この場合は「つま」で「夫」の意味となり、つまり雷は「稲の夫」であり、雷は稲をはらませる(実らせる)、とされてきたのです。
決してこれは迷信ではなく、実際落雷が稲の豊作と関連しているのは科学的事実。稲作に限りませんが、農作物の生育に欠かせない栄養素の一つが窒素。窒素は多く空気中に含まれ浮遊していますが、マメ科の植物は多く窒素を吸収して固着するので、マメ科の蓮華を米に先立ち田んぼに植えて、土にすきこむ農法がかつてはよく行なわれました。
なんと、雷もまた、落雷によって空気中の窒素を土中に固着させる作用があるんだとか。つまり水田に落雷するほど、土中・水中に窒素が増えて、稲の実りがよくなる、というわけです。
雷の月別平均落雷件数を見ますと、冬の間は日本海側の豪雪地帯に局所的に発生していた落雷が、三月から四月にかけて全国的に発生し始め、五月、六月と夏に向けて急速に発生するのが見て取れます。そして、八月をピークにして秋の稲の刈り入れシーズンを迎えるとガクッと数が減ります。まさに、稲作は雷とともにはじまり、雷とともに終わるものだ、ということがわかりますし、農民たちも強く実感していたのでしょう。
聖域と生殖をあらわす雷の文様
落雷があると稲が育ち豊作となり、かつ邪悪なものを払うと信じられて、神聖なもの・場所や、生命の豊穣をもたらす食物や生殖の縁起物には必ず飾られるわけです。
家紋にも稲妻紋というものがあります。しかし基本的には呪符(呪いを封じたりこめたりする)の一種であったため一般的には使用されず、陰陽道の家系の中御門中納言家成の子権中納言実教を祖とする藤原北家四条家流の山科家の専用紋であったり、桃太郎伝説の本場の中岡山藩主の伊東氏だったり、神社関連の家紋である場合がほとんどのようで、聖域をあらわす文様として扱われていたようです。
また、ラーメン丼の縁によく描かれている文様は「雷文(らいもん)」といいますが、これ、古代中国やギリシャなどで盛んに青銅器や土器、絵画の文様の縁取りとして使われていました。器は古代には呪術や祭祀に使われ、生命を生み出す神聖なものともされていました。その縁を雷文で縁取るのは、やはり同じように結界の意味・意図があったのではないでしょうか。
神聖なはずの雷様が、どうして魔である鬼と同じ姿なの?
このところ陰陽師安倍清明を主人公にした物語や映画がヒットしたり、風水ブームが定着したりと、鬼門だとか裏鬼門なんていう呪術用語が一般的になり、丑寅の鬼門から入ってくる魔を鬼といい、鬼が虎の毛皮をまとい牛の角を生やしているのは丑寅の鬼門が由来、なんていうことも多くの人がご存知の事。そう、牛の角と虎の毛皮、恐ろしげな風貌は鬼をあらわす典型的なイニシャルなんです。雷様はまごうことなく鬼なのです。
雷は激しい自然現象で畏怖の対象でもあったので、恐ろしげな鬼の姿と重なったのでしょうか。
雷様が鬼の姿に似るのには、実はもっと深い理由があります。先述したとおり、田の神は山の神が春になり里に下りてきたもの。つまり田の神とはもともと山の神です。そして山の神とは、日本の土俗信仰では多くの場合「鬼」の姿をとったのです(時に天狗や河童の姿となることもありますが、全て同じものの異相です)。山岳信仰では山は祖霊が帰る場所であり、死者の領域。だから、冥府の番人である鬼は山の神とも重なるわけです。山から下りてくる神・秋田の「なまはげ」が鬼の姿をしているのも同じ理由です。
昔話の登場人物たちが出てくるテレビの某CMで、鬼のキャラクターが雷様のアルバイトをしてる、という設定がでてきます。まさに山の神である鬼は春、雷神として里に下りてきて田んぼの米作りを手伝う「アルバイト」のようなことをするんですから、製作者にそういう知識があるのか、単なるまぐれかはわかりませんが、なかなか真実をついていて神がかってるな、とびっくりしました。古い伝承や伝統が失われているように思える現代でも、やっぱり連綿とした過去と今とは、深いところではつながっているのかもしれませんね。
最近の夏前後の集中豪雨の被害は、行き場をなくした雷神の嘆きのように感じなくもありません。田畑が少なくなり、実らせる作物も見当たらない町に下りてきた雷様は、どこに落ちればいいのかと、とまどっているのかもしれません。