「ふぐ」の味わいは命をかけて!? 寒い冬に美味しく温まる「ふぐ料理」を!
ふぐ尽くし
古代より命を賭けて味わってきた!?
とらふぐ
ふぐは毒がありながらも昔から食べられてきたようで、古くは紀元前の中国の書物『海山経』に「ふぐを食べると死ぬ」という記載があるそうです。
日本では縄文時代に残された貝塚からふぐの歯骨が出土していたり、書物では奈良時代の『出雲国風土記』に「鮐(ふぐ)」、平安時代の『本草和名』には「布久(ふく)」としての記載があり、ふぐと人間の関わりの長さがわかります。
ふぐの毒が有名になったのは、豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」でのこと。朝鮮半島へむけての出兵のため多くの兵士が九州方面に集まりました。この時にふぐを食べて死亡する者が次々と出たことから、秀吉はついに「河豚食禁止の令」を発布します。この禁止令は江戸時代も続き、罰則は家禄没収など藩によってはかなり厳しいものだったとのこと。
このような厳しい禁止令の中でも、江戸時代は食文化の発達に伴いふぐも食されていたようです。それは俳人たちが残した俳句やことわざとなって現代にも伝えられています。
「五十にて鰒の味を知る夜かな」 一茶
ふぐの美味しさを知った喜びをつづった一茶に対し、
「あら何ともなやきのふは過てふくと汁」 芭蕉
ふぐを味わって一夜明けた朝、何ともなかったことにホッとしている芭蕉がいます。覚悟の上食べたのでしょうか。
「雪の河豚あに一命を惜しまんや」 古川柳
「河豚は食いたし命は惜しし」 ことわざ
ともにふぐを食べることへの憧れと恐れのはざまで行き来する人々の心の悩ましいようすがうかがえます。
「河豚食禁止の令」が解かれたのは明治に入ってのこと。そこには新しい時代を切り開いた明治維新の立役者である長州藩士、伊藤博文の「ふぐは旨い」というひと言があったそうです。
現在では各都道府県から免許を与えられた調理師によって、安全に美味しくふぐを楽しむことができるようになっています。
王道は鍋?その前に味わうべき美しさがあります!
ふぐ刺し
なぜ身を薄くひくのか、というと「ふぐの肉は繊維質で弾力があり噛み切ることが難しいため」ということです。また刺身といえば新鮮さが一番ですが、ふぐの場合は絞めてから布をかぶせて1日から2日置いて熟成させるのがコツとのこと。
毒をきれいに抜いて安全に処理するだけでなく、美味しくいただくための工夫もさまざまにされていることがわかります。
薄くひいたふぐを5、6枚つまんでポン酢をつける。橙などの酸味の強い柑橘系の汁を合わせたものがオススメでしょうか。薬味にはわけぎやあさつき、それに紅葉おろしなど。淡泊ながらこくのある「ふぐ刺し」を引き立てます。
もし、いける口でしたらぜひ「ヒレ酒」を。とらふぐのヒレを天日干しにして乾燥させ、焼き上げて日本酒に浸し熱燗にします。香りを閉じ込めるためでしょうか、出される時口は蓋でとじてあります。蓋を開ければ香ばしさが立ちのぼり、熱燗にしてアルコールが飛んだぶん、口あたりもやわらかく感じられることでしょう。
「河豚食ふや伊万里の皿の菊模様」 水原秋櫻子
先ずは「ふぐ刺し」の造形の美しさと旨さを味わってから次へと進みましょう。
さあ、いよいよ鍋の登場です!
ふぐ鍋
ふぐはほかにも「から揚げ」や「炭火焼き」といった食感や味わいの変わる食べ方もあり、このあたりはお店にまかせてみてはいかがでしょうか。
〆はやはり雑炊。ふぐの旨味に野菜の味わいも加わった出汁を煮立たせ、ごはんを入れてもらったらしばしできあがりを待ちましょう。やがてふっくらと出汁を吸ったさらさらとした米粒の雑炊ができあがります。寒中であっても寒さなど何するものぞ、というくらい内側から身体を温めてくれることでしょう。
たとえ毒があっても、美味しいものは味わいたい! その冒険心と探究心が「ふぐ料理」を進化させ安全な食文化へ築いてきたといえます。寒さが極まるこの時だからこそ、ふぐを味わってみませんか。
参考:
「春帆楼」ふぐについて