平成元年の梅雨空に旅立ったスター…今日は昭和の歌姫・美空ひばりさんの命日です
移設前、京都嵐山にあった美空ひばり記念館「ひばり座」。現在は同じく京都太秦の映画村に移転し運営されています。
もうお亡くなりになってから27年も経つのですね。彼女を知らない世代も年々増えているかもしれませんが彼女が残した名曲の数々はいまだに映画やドラマ・CMなどで使われるので、姿は知らねど(なのでしょうか?)歌声は誰でも一度は聞いた事があるはずです。世界中から好きなアーティストの楽曲をダウンロードしていつでも好きな時に聴くことが可能になった現代。「国民的歌手」は、もはや死語になってしまったのでしょうか。掛け値なしに「国民的歌手」であった美空ひばりさんについて、また昭和のスターについて思いを馳せてみました。
「お嬢」とよばれた彼女のドラマティックな人生は「家族」がキーワード
筆者が歌手・美空ひばりさんの事を考える時、もちろん数々の名曲が頭に浮かびますが、同時に頭に浮かぶのが母・喜美枝さんを始めとする彼女の家族と共に歩んだ生涯そのものです。筆者は美空ひばりさんの歌を聴いて育った世代ではありませんが、小さな頃から彼女の歌がテレビやラジオから流れ、家族団らんの時には彼女のことが話題に上り、ファンでなくてもなんとなく彼女の生涯を把握していたからでしょうか。
常に横に寄り添っていた母・喜美枝さんは、元祖ステージママとしてプロデュースから私生活まで全てをコントロールしていました。時には、黒い交際の原因では?小林旭さんとの結婚生活を破綻させたのでは?と言った批判にさらされましたが、美空ひばりさんの情感溢れる歌声・物語性の高い歌唱力は家族との濃密な関係性があったからではないでしょうか。のちに若くして母・喜美枝さんや兄弟、家族のような存在だった石原裕次郎さん・鶴田浩二さんを相次いで失ったひばりさんは、急速にお酒やタバコに溺れていき自身も病に冒されてしまいます。もちろん歌の原動力はファンの応援だったでしょうが彼女にとって家族がいかに大きな存在だったかがうかがえます。彼女を見る側の私達もいつも家族揃ってお茶の間で美空ひばりさん始めスター達の歌を一緒に見たり聴いたりしていた時代。スターと家族を自分達と重ね合わせて感じていたのかもしれません。家族揃ってお茶の間でテレビを見る…そんな光景が無くなってきた今だからこそ美空ひばりさんの事を考える時「家族」というキーワードが浮かんだのかもしれません。
奇しくも美空ひばりさんが亡くなった1989年は昭和から平成に元号が変わった年です。彼女はまさに最後の昭和のスターだったのでしょうか。
昭和の大スターの豪快エピソードは現代のお伽話!?
また美空ひばりさんのエピソードとは離れますが、豪快エピソードと言えば勝新太郎さんも思い出します。銀座の高級クラブなど自身が訪れた時にたまたま居合わせただけの他のお客たちの会計を全て彼が支払っていたそう。彼が亡き後、つい最近まで妻の中村玉緒さんはこの時の飲み代の「ツケ」を返済していたとかいないとか。相当な金額だったことが伺えます。また高倉健さんは主演映画がクランクインするごとに共演する俳優たち一人一人にスイス製の高級腕時計をプレゼントしていたそう。
こんな数々の豪快エピソード、彼らが大スター・雲の上の存在だったから「スターってすごいな、憧れちゃう」と、人々が素直に思えた時代だったのかもしれません。今だったら、「無駄遣いするな!」と、週刊誌やSNSで叩かれてしまうのでしょうか?
ただの浪費、無駄遣いではないか!今のスターたちの方が真っ当である、と言われればそれまでですが、最近こういう豪快エピソードが聞けないのも寂しい気がします。
平成に元号が変わり早28年目。昭和のスターたちが毎年消えていくようになりました。去年は高倉健さん菅原文太さんが相次いで亡くなり、一時代の終幕と感じた方も多いと思います。また将来、平成から次の元号に変わった時「平成の大スター」呼ばれる人は存在しているのでしょうか。美空ひばりさんのようにどの世代にも知られている人がスター、という価値観そのものが変わっているかもしれませんね。
生前の自宅を開放した東京目黒の美空ひばり記念館
丁度今が見頃の満開の紫陽花。美空ひばりさんといえば、歌にもある「真っ赤な太陽」のように夏の花ひまわりや大輪のバラなど華やかなイメージですが、晩年のしっとりと歌い上げていた頃の彼女はまさに紫陽花のイメージ。今もどこかでその美声を響かせているかもしれませんね。