5月の花といえばカーネーション?意外と知らないカーネーションの歴史
今回は、カーネーションと母の日の歴史をご紹介します。
可憐な花は肉の色?
このように、西洋で長く愛されていたカーネーションが日本にやってきたのは江戸時代初期のこと。オランダの船でやってきたカーネーションは、「オランダナデシコ」「オランダセキチク」などと呼ばれていました。また、香りのよさから「ジャコウナデシコ」との呼び名もあります。大正時代になると栽培の基礎が確立されるようになり、日本でも人気の花となったのです。
母の日にどうしてカーネーションを贈るの?
母の日はもともと、アメリカのアンナ・ジャービスという人物のある行動がもととなっていました。彼女は、愛する母の命日に追悼会を開いた際、参加者に母親が好きだった白いカーネーションを配ったのだそうです。その彼女の行動がアメリカで広まり、後に母の日が国民の祝日となったのです。そして日本に母の日がやってきたのは明治時代の末期。母の日が広まり始めた当初は、皇后の誕生日であった3月6日が母の日とされていたようです。
プレゼントするカーネーションの色ですが、アンナ・ジャービスは健在の母親には赤色を、亡くなっている母親には白色のカーネーションを贈るように提案しました。しかし日本では、それが子どもの気持ちを傷付けてしまうのではないかという考えから、赤に統一されるようになったのだそうです。
今回は、カーネーションと母の日の歴史についてご紹介しました。カーネーションは、赤なら「母への愛」、ピンクなら「感謝」、青なら「永遠の幸福」、といったように、色によって花言葉が違います。母の日には、カーネーションで日頃の感謝の気持ちを表現してみてはいかがでしょうか。