カナカナカナと朝に夕に鳴く夏の歌い手は?七十二候「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」
クマゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、いろんな蟬たちの歌が聴こえます
「ジー」と鳴くのはニイニイゼミ、「ジー、ギリギリ、ジー」はアブラゼミ、「ミーン、ミンミン、ミーン」はミンミンゼミ、「シャーシャーシャー」はクマゼミ、「ギーギー」と鳴く声はエゾゼミ。
そして早朝や夕方の薄暗い山で「カナカナカナ」とひときわ澄んだ声を響き渡らせるのはヒグラシ。夏の終わりに「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ」と鳴き出すのが、ツクツクボウシ。
なんと国内に30種以上も生息するという蟬は、まさに日本の夏を盛り上げる合唱隊。耳を澄まして、あの声はアブラゼミ、あの歌はクマゼミと聞き分けてみるのも、夏ならではのちょっとした楽しみかもしれません。時間帯や生息場所によって、いろんな歌が聞こえることでしょう。
鳴くのはオス。幼虫は、古代ギリシャの珍味!?
なぜ歌うかといえば、やはりメスを惹きつけるためだとか。懸命に鳴くその声に誘われて、メスが近づいてきてゴールインとなるというわけです。交尾後メスは、300個以上もの卵を木の枯れ枝などに産卵。卵からかえった幼虫は地面落ち、地中へ。数年もの間地中で過ごした後、幼虫は木に登り羽化し、樹液を存分に味わいながら歌を歌い、ひと夏を過ごすのです。
ちなみに羽化する前の地面から出てきたばかりの幼虫は、「きわめて美味なり」とかのアリストテレスもいっていたとか。古代ギリシャの人々にとっては、キャビアなどに匹敵するような珍味として食されていたのでしょうか。
羽化した後の抜け殻は「空蟬」。「源氏物語」の中の一巻の名にも
この後、普通の茶色い蟬の姿となるのですが、抜け殻はそのまま木の枝などに残されます。この抜け殻は「空蟬(うつせみ)」と呼ばれ、蟬を意味する歌語にもなっています。うつせみは、元来、この世に生きている身体の意味合いだったところ、万葉集に「空蟬」「虚蟬」の宛字が用いられたことから蟬の意になったそうです。
さて、ここで思い出すのは、『源氏物語』五十四帖の中にある「空蟬」という巻名。寝所に忍んできた源氏から、小小袿(こうちき:婦人の略礼装でいちばん上に着る表着)を残して逃れ去った女性・空蟬の物語が、「帚木」「空蝉」「夕顔」の3巻にわたって綴られています。空しい殻を残して蟬が翅を広げ飛び立っていく生態からの連想から生まれたエピソードがとりわけ印象的ですね。
その蟬の抜け殻のような薄衣を持ち帰った源氏が空蟬へおくったのは、
うつせみの身をかへてける木(こ)のもとに
なほ人がらのなつかしきかな
という歌。すでに結婚していた空蟬は、源氏の想いに応えることもできかね
うつせみの羽(は)に置く露の木隠(こがく)れて
忍び忍びに濡るる袖かな
と、「伊勢集」にある古い歌に心を託してそれとなく応じたのです。
やがて「夕顔」の巻では、夫に従い任地に下る空蝉へ、贈り物とともに衣を返す源氏にに対し空蟬は、
蟬の羽もたちかへてける夏衣
かへすを見てもねは泣かれけり
(秋となり更衣(ころもがえ)をすませた今、あのときの薄衣をお返しくださるのを見ますと、お心も変わったのかと、蟬のように声をあげて泣いてしまいます)と返歌し、去っていくのです。
……ひと夏、命を燃やし唱される蝉の歌。
やがてその声も途絶えたころ(または翌年の梅雨のころ)、卵から孵化した新しい命は暗い地中深くに潜み、また歌う夏の日を夢見て、長い長い地下生活へと入るのです。
ファーブル昆虫記(奥本大三郎訳・解説/集英社)、源氏物語(新潮日本古典集成)、本居宣長(小林秀雄著/新潮社)