竹の花は120年にいちど咲く!? 七十二候<竹笋生(たけのこしょうず)>
竹の花言葉は「節度」「節操のある」(花言葉って…)
竹の開花にまつわる言い伝え。不吉なこととは?
竹の花。想像以上にイネっぽいですね…
竹の花は、めったに咲きません。笹ではおよそ50年、竹の類ではおよそ100年にいちど。きっと一生見ない人も多いことでしょう。そして一斉に咲いたあとは、なんと竹林ごと枯死してしまいます。突然の壮絶な自然現象に、昔の人は「これは天変地異では」「枯れるのは伝染病によるものでは」と恐れをいだき、「竹の開花は不吉の前兆」という言い伝えが各地に残ることとなりました。実際、1960年代のマダケの開花では国内のマダケ林のおよそ1/3が枯死し、そのため日本の竹製品は大ピンチに陥ったのです。
さらにレアなのが、竹の実。マダケの花が実をつける確率は、数千分の1。一方、笹には実をつけやすい種類もあるようです。その実はノネズミの大好物。ご馳走を求めてわらわらと移動してきたノネズミ軍団は、笹の実を食べ尽くしてしまうと、周辺の森林樹木や農作物を荒らし回ります。農家にとっては死活問題。また、山の斜面に生えたネザサなどが開花した場合は、地下茎が枯れることで地盤が弱くなり、少しの雨でも大崩壊する原因に! 開花がもたらすそんな影響の数々も、「不吉」の内容に含まれているのかもしれません。
非常食に大活躍。ところで気になるそのお味は?
ネザサ。味はともかく、地下でいい仕事しています
ところが実際には、笹の実は「淡白」どころか、「ものすごくまずい」らしいのです!! いわれてみれば、何十年かにいちどしか収穫できない貴重な実なのに、なぜみんなでとれたてを味わうことをしないでわざわざ「飢饉用」にとっておくのでしょうか…?
じつは、1943年の朝日新聞には「笹の実入りのパンを各戸に配給したところ、あまりにまずいと不評をかい、笹の配合を減らして作りなおした」という内容の記事があります。また、ネザサの結実時に笹の実で団子を作ってみた食の研究会の記録では「まずいことを予想して梅干し大にし、20人にふるまったところ、珍しさからようやく食べる人もいたが半分も食べられずに捨てた人も多かった」という報告もあります。つまり、食糧の欠乏した戦時中でも、あらかじめまずいと覚悟した集いの席でも、予想をはるかに上回るまずさだったというのです。
「天井に吊るしておいても何年も虫がつかないことでも、そのまずさがわかっていただけよう」と、農学博士の室井綽さんは著書で述べています。けれども、飢饉の際に雑草や木の皮を食べていたところにこの団子があれば…淡白な味にも思え、とりあって食べたのでは、という推測も。それにしても、「飢饉でなければ食べられない味」っていったい!? でもちょっと(怖いものみたさで)試してみたくなりませんか?
120年間の最後に花を咲かせる意味とは?
次の開花は約70年後。私はどうしているかしら
竹林の竹は、老いも若きもみんな地下茎でつながっていて、運命共同体というかクローンのように「同じ竹」。竹林そのものが一個体の生物なのですね。マダケの120年とは、マダケ竹林さん(仮名)の寿命の長さという意味だったのです。
天寿を全うする竹林さんが次の世代へバトンを渡すために咲かせる花は、むしろ大往生のめでたい現象なのかもしれません。ただ、こうして咲かせた花の実が落ちて発芽し育つというよりは、わずかに残った地下茎や茎の根元の潜伏芽から、小さな笹状のものが発達して再生することが多いのだそうです。それはもしや、こんなドラマチックに開花する必要はとくにないってこと…!? 120年間ここできみたちを見ていたんだよというメッセージなのでしょうか。竹ってほんとにミステリアスですね!
『竹・笹の話』室井綽(北隆館)
『ものと人間の文化史 竹』室井綽(法政大学出版局)