七十二候「鴻雁北(こうがんかえる)」 。あはれな渡り鳥にまつわる伝説「雁風呂」のCMをご存じですか?
宮城県上空をV字飛行中。先頭入れ替わります!
なぜわざわざ北へ? 日本にいればいいのに・・・
「落ち穂拾い」するオオハクチョウ
なにかと謎の多い渡り鳥も、渡る主目的はやっぱり子育て! 食べ物が入手しやすくヒナを育てやすい場所へと、体内時計を駆使して太陽や星座をたよりにそれぞれ決まったコースで移動します。旅鳥には、行きと帰りで違うコースをとるために日本で見られる数が秋と春で大きく違う種類もあるそうです。
『鴻雁来(こうがんきたる) 』の秋に日本に来る雁は、カモより大きくハクチョウより小さい水鳥です。これからいよいよシベリア方面へ向けて出発します!
ふだんの食事は米・草の葉や茎・地下茎・種子・果実・・・とベジタリアン系ですが、多くの鳥と同様に、ヒナは昆虫で育てます。それなら危険を冒してわざわざ北に行かなくても、そのまま日本にいれば夏の虫も捕れるでしょうに?と思いますが、冬鳥たちはきっと日本より涼しい環境が好みなのですね。それに寒い地域では夏の短期間で一斉に虫が発生するので、効率よく食べ物をゲットできるという魅力もあるようですよ。
CMでも話題になった『雁風呂』伝説とは?
伊豆沼の夜明け
その両方がある場所は、いまの日本にはもうあまり残っていません。日本に来る雁の仲間は6種類くらいで、その中で最も多いマガン約7〜9万羽のほとんどすべてが、伊豆沼や蕪栗沼など宮城県北部で冬を越すといいます(それで雁は宮城の県鳥になっています)。
命がけの旅の末やっと落ち着いても、野性の暮らしにはケガや伝染病、天敵など危険がいっぱい。昔、こんなテレビコマーシャルがあったのをご存じでしょうか。
「月の夜、雁は木の枝を口にくわえて北国から渡ってくる/飛び疲れると波間に枝を浮かべ 、その上に止まって羽を休めるという/そうやって津軽の浜までたどりつくと、いらなくなった枝を浜辺に落として、さらに南の空へと飛んでいく/日本で冬を過ごした雁は 、早春の頃再び津軽へ戻ってきて、自分の枝を拾って北国へ去ってゆく/あとには、生きて帰れなかった雁の数だけ枝が残る/浜の人たちは、その枝を集めて風呂を焚き 不運な雁たちの供養をしたのだという」
(1974年CM『サントリー角瓶』より)
これは青森県津軽地方に伝わる『雁風呂』の言い伝えです。
旅立ちの季節が終わり もう雁が来なくなっても海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、旅人などに流木で焚いた風呂をふるまう風習があったのだそうです。実際には、雁は渡るときに枝をくわえないし枝に乗らなくても自分で浮いていられますが、移り変わる季節に雁の苦難と命を思う優しい気持ちが感じられる伝説ですね。
「雁風呂」「雁供養」は、春の季語でもあります。
愛する家族を置き去りになんてできない!
家族一雁となってがんばります♪
マガンは大人になるのに2〜3年かかるため、その間はずっと親が付き添い、お世話しながら渡りのコースや飛び方、どんな危険があるかということを教えるのだそうです。飛ぶときも、田んぼで食事をしているときも、いつも家族いっしょ。子どもが食事をしていると、親は交代でじっと周囲を警戒しています。子どもはずっと親の温もりに守られて生活しているのですね。
「雁首を揃える」などと使われるように、雁はいつも群れで行動します。
渡りの春、翼を骨折したり体調が悪くて出発できない雁がいると、元気になるまで なんと仲間の雁たちも一緒に居残るといいます。自分たちにはこれといった武器がなく、そんなに早く飛べない弱い鳥であることを知っていて、傷ついた1羽だけを置き去りするなんてとてもできない、と思っているかのようです。
『雁風呂』伝説で語られる雁の行為は、中国の淮南子(えなんじ)という本に書かれた話「葦を啣む雁(あしをふくむかり)」から生まれた故事といわれ、「手抜かりなく準備がととのっていること、用意周到」を表すのだそうです。
人間のように深い感情をもつ雁なら、あるいはこんな備えもしてしまうかも・・・と思わず信じそうなほど、人は雁の姿に親しみを感じてきたのかもしれません。家族や仲間で助け合うことによって守られ絆や愛情が育まれるなんて、まるで人間のめざす社会のようではありませんか。
宮城県蕪栗沼ホームページ(蕪栗ぬまっこくらぶ)