今年は「北海道」と命名されて150年目。名づけ親は探検家の松浦武四郎
今年は「北海道」という名前がついて150年の節目。各地で様々なイベントが開催されています。
蝦夷地を六度も訪れた松浦武四郎。伊勢出身の探検家
稚内市の隣、猿払村
当時は、ロシアから攻められるのではないかという「海防」の観点で蝦夷地を訪ねたようですが、そのうちにアイヌの人々と交流が深まり、彼らの幸せな暮らしを願うようになっていきました。
6つの名称が提案され、そのうちの「北加伊道」が採用された
天塩川
また、その後、蝦夷地に詳しい人物として明治政府の一員となり、開拓使の役人になると、1869年7月17日、武四郎は明治政府に、蝦夷地に代わる新しい名称を提出しました。
「北加伊道」
「日高見道」
「海北道」
「海島道」
「東北道」
「千島道」
1857年、北海道の北部を流れる天塩川(てしおがわ)流域を調査した武四郎は、「カイ」というアイヌ語が「この土地で生まれた者」という意味であることを知りました。これをヒントに「北カイ(加伊)道」という名称を思いつき、これが今の「北海道」となりました。
現在、天塩川流域には、武四郎のゆかりの地に石像や歌碑、記念碑や案内板が多数設置されています。
各地に残る武四郎の足跡。音威子府(おといねっぷ)村には「北海道命名之地」の碑
小平町(おびらちょう)のにしん文化歴史公園
北海道北部の日本海側、留萌郡小平町(おびらちょう)は、明治~大正時代はニシン漁が栄えていましたが、道の駅「おびら鰊番屋」にある「にしん文化歴史公園」には、松浦武四郎が鬼鹿(おにしか)村で詠んだ短歌が刻まれています。
釧路市の幣舞(ぬさまい)公園には、松浦武四郎と案内役であるアイヌの人のツーショットの像が建っています。この像は、武四郎が阿寒の地を調査し、その景色のすばらしさを紹介した功績をたたえて建てられたといいます。
武四郎は北海道の北部に位置する音威子府(おといねっぷ)村で、アイヌ語の「カイ」の意味を知ったといわれ、この地には「北海道命名之地」と記された木碑が建っています。
武四郎によって、支庁や郡もアイヌ語にちなんで名づけられた
アイヌ語で「かもめが多いところ」という意味の「マシュケ」が転じたもの。「ぞうもう」ではありません。
北海道にはアイヌ語に由来する独特の地名が数多くありますが、これらの多くは武四郎の働きによるものであったというわけです。
〈参考:札幌市「北海道は平成30年に命名から150年目を迎えます」〉
〈参考:北海道150年事業公式サイト〉
〈参考:上川総合振興局「松浦武四郎の足跡」〉
〈参考:北海道新聞 2018年7月14日、「北海道150年広告特集」〉
〈参考;北海道Likers「天塩川に、松浦武四郎“”海道命名之地”を訪ねて〉
北海道が命名されて150年を迎える今年は、おりしも松浦武四郎生誕200年でもあります。北海道博物館の特別展示室では、「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」と題し、8月26日まで武四郎に関する展示が行われています。北海道命名150年で様々なイベントが催されている北海道。夏休みに訪れてみてはいかがでしょうか。