“青いバラ”の花言葉が、「不可能」から「夢 かなう」に
5月からバラが見ごろを迎えるこの時期、奇跡のバラともいわれる「青いバラ」がどのように誕生したのかをお伝えします。
自然界に青いバラは存在しない。花言葉は「不可能」「存在しないもの」だった
小森氏の「青竜」。
遺伝子組み換えをする以前は、青いバラを作るには、品種改良によって赤い色をどんどん抜いていき、「青」というよりは、「青に近い色」にしていく方法が主流でした。(この方法で日本では、栃木県の小林森治氏[1932~ 2006年]が、人工交配によっていくつかの青いバラを世に送りだし、「バイオテクノロジーでないと青いバラは作れない」という定説をくつがえしたともいわれています。小森氏が作った青いバラは現在、栃木県の「とちぎ花センター」に寄贈され、今でも見ることができます)。
青い色素を持たないバラ…。青いバラ「Blue Rose」は長いこと、「不可能」または「存在しないもの」の象徴とされてきました。
バイオテクノロジーが発達。パンジーの青色遺伝子を使って、青いバラにする
サントリー ブルー ローズ アプローズ
そもそも青い色素を持たないバラを青くするためには、大きく2つの課題がありました。1つは、バラ以外の青い花に含まれている膨大な遺伝子の中から、青色遺伝子を取り出すこと。そしてもう1つは、バラの細胞に青色遺伝子を入れて、その細胞から青いバラを作製する方法を見つけ出すことです。青色遺伝子は特許がとれるので、どこよりも早く見つけることが重要でした。
サントリーでは最初、ペチュニアから青色遺伝子を取り出し、特許を出願しました。しかし、作り出したバラには確かに青色遺伝子が入っているのに、花の色は赤いままでした。そこで、リンドウやチョウマメ、トレニアなど、ほかの青い花からの青色遺伝子をバラに入れましたが、青色遺伝子が入っているのに青い色素ができないバラしか咲きません。何度も実験を重ねていましたが、1996年、パンジーの青色遺伝子を入れると、ようやくバラの中で青色の色素が作られるようになりました。
そして2002年、世界初、青色の色素が100%近く蓄積した青いバラを咲かせることができました。2004年に広報発表されたときには、世界中の人たちが驚きを隠せませんでした。2009年には一般への販売が開始され、青いバラはようやく世の中に広まるようになりました。
不可能とされていた青いバラの花言葉は、「夢 かなう」に変わった !!
名前に含まれる「アプローズ」の意味は、「拍手喝采」「称賛」です。青いバラを作るという夢をかなえるために、日夜研究を重ねてきた人たちへ、喝采を贈りたいという思いが込められています。
バラに先がけ、青いカーネーション「ムーンダスト」も。花言葉は「永遠の幸福」
青いカーネーション「ムーンダスト」。
青いバラの開発がなかなかうまくいかないとき、この、遺伝子組み換えによる青いカーネーションが、研究員たちを勇気づけました。青いカーネーションがうまくいったように、バラでも青い色素を組み込むことができる…。「ムーンダスト」をながめつつ、研究員たちはそう信じて、開発に取り組みました。
自然界には、もっと青い花がたくさん存在していますが、これらの花は、金属イオンなどの化合物と青色の色素を複合させて、青い色になっています。また、青色の色素が入っている細胞の中があるpHの値が高いと、より青くなるそうです。
「サントリー ブルー ローズ アプローズ」は、世界ではじめての青いバラとはいえ、見た感じでは、青色というよりは薄紫色に近い感じです。サントリーでは、より青いバラをめざし、今も研究を重ねています。
〈参考サイト:サントリー「青いバラ」への挑戦 開発ストーリー〉
バラの季節になりました。各地のバラ園ではバラが見ごろを迎えています。赤、黄色、ピンク、白、オレンジ…。色とりどりのバラの中に、もし青いバラがあったら、パッと目をひくことでしょう。そんなとき、日本の研究者たちの情熱と、「夢 かなう」の花言葉を思い出して、そっと喝采を贈りたいものです。