桜が満開のワシントン !! 103年前、日本から贈られた桜に秘められた物語

タイダルベイスンから見るワシントン記念塔。岸辺には満開の桜とそれを楽しむ人々が。
日本の桜に魅せられ、ポトマック川沿いを桜並木にしたいと活動した4人の共通の夢

桜が満開のジェファーソン記念堂。桜が水面に映える。
この時期、やはり、日本の桜の美しさに魅了されたのが、植物学者のデイビッド・フェアチャイルド。彼は自宅の庭に桜を植樹しようと、1906年、横浜から125本の桜の木を輸入し、東洋の木がアメリカの地に根づくかを試しました。桜は見事に開花し、桜がワシントンに植えるのに適した木であることを確認した博士夫妻は、ワシントン市内に桜を植えようと決意、シドモア女史の桜並木の計画の後押しもしました。
1909年4月、ウイリアム・タフトが第27代大統領に就任すると、大統領夫人も、ポトマック川周辺の埋め立て地に、優雅な桜を植えたいと考えるようになりました。実はタフト夫人は1903年に家族と日本を訪れ、荒川沿いの桜並木を見て、桜の美しさに心を奪われたといわれています。シドモア女史やフェアチャイルド博士がタフト夫人に桜の植樹を要望したのをきっかけに、夫人も桜の苗木の購入を主導、ポトマック川の公園化の話が急速に進み、桜並木が現実化へと向かいました。
4人めのキーマンは日本人の科学者、高峰譲吉博士です。彼はニューヨークに在住し、「アドレナリン」を発見した人物です。彼はタフト夫人が桜の植樹を推進していることを知り、当時の東京市長・尾崎行雄にも協力を要望、東京市から2000本の桜の苗木を贈ることを約束したのです。
こうして、「ワシントンに桜を」という4人の念願がかない、1909年11月、横浜港から2000本の桜を乗せた船がワシントンへと出航しました。ところが、翌1910年1月にワシントンに到着した桜は病害虫に侵され、防疫検査を通過することができず、泣く泣くすべてが焼却処分となってしまいました…。しかし、高峰博士と尾崎市長は桜を贈ることをあきらめませんでした。次に贈るときは病害虫に侵されることがないよう、綿密な計画が立てられ、荒川の桜に接ぎ木などを施して、健康な桜の苗木を育てたのです。
1912年、12種類の桜の苗木は再び横浜港を出発し、アメリカ西海岸のシアトルに到着、そこから冷蔵貨車で大陸を横断してワシントンへと届けられました。検疫検査の結果ですべての苗木が健康であることが確認され、ようやく植樹できるようになりました。
桜が届いた翌日の3月27日、植樹の式典が行われ、タフト夫人らが植樹を行いました。この木は今でも根づいていて、これが最初の桜の木であることが銘板に示されています。アメリカ政府はこのお礼としてハナミズキの木を日本へと贈り、日比谷公園などに植えられました。
翌1913年から1920年にかけて寄贈された桜のうち、約1800本のソメイヨシノがタイダルベイスン周辺に植えられ、残りの11種類と残りのソメイヨシノは東ポトマック公園に植えられました。
「全米桜祭り」のルーツは、桜の木が伐採されるのを反対する集会

住宅街にも桜が植えられている。
1938年、ジェファーソン記念館を建てる用地を確保するため桜を伐採するとの計画が持ち上がりました。しかし、女性グループらが反対、人間の鎖で計画予定地を封鎖し、桜が伐採されるのを阻止しました。そしてこの問題は、タイダルベイスンの南の岸に、より多くの桜を植えることを条件に妥協され、さらに多くの桜が植えられるとともに、1940年代ころから桜祭りの催しものが始まりました。
さらに多くの桜を寄贈。桜の手入れ、植え替え、植樹…、ワシントンで大切にされる桜

National City Christian Church。街の中にも桜が。
1986年から1988年の3年間には、1912年に寄贈された最初の桜の回復のために、アメリカの国立公園局に寄付された101,000ドルを費やして、676本の桜の木が植えられました。
また、1996年、クリントン大統領の訪日を記念して、100本の桜がポトマック川沿いに植樹されました。
こうして、ポトマック公園周辺には8000本以上の桜が植えられ、今ではワシントンは桜の名所となっています。
桜の花見は日本だけの風習だと思いがちですが、ワシントンでは100年以上も前から日本の桜が植えられ、今でも市民に大切にされています。最近は日本ブームで、世界各国から日本を訪れる観光客が増えただけでなく、政府の観光呼び込みの効果もあってか、日本で桜の花見をする外国人の数が増えました。でも、日本以外でも何年も前からお花見文化があり、しかも、桜を100年以上も大事に育てていてくれていたとは、ちょっと感動ものですね。