賢治の辞世と秋祭りとの関係は?生誕120年の賢治忌
北上みちのく芸能まつり 鹿踊り
賢治忌を詠む
秋の岩手山
・ゝゝと芽を出す畑賢治の忌 阿部みどり女
・賢治忌の枕もとより蝗かな 小原啄葉
・田まわりの兄の自転車賢治の忌 有馬正二
・伝言板見かけぬ駅や賢治の忌 星徳男
・どつてこのきのこ楽隊賢治の忌 生方義紹
・トランクは空を飛ぶもの賢治の忌 矢島惠
・賢治忌や水琴窟の透ける音 林孝典
[句引用:宇多喜代子(監修)、松田ひろむ 他 (編集)『ザ・俳句十万人歳時記 秋』第三書館]
「ゝゝと」は、「ちょんちょんと」と読みます。秋の何気ない風景の中に、物語や空想が広がるイメージですね。賢治の得意だった、ユーモラスな表現をなぞった作品もみられます。
原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
北上みちのく芸能まつり 鬼剣舞
・原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
(mental sketch modified)
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装(いさう)のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体(はらたい)村の舞手(をどりこ)たちよ
鴇(とき)いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生(せい)しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹(まだ)皮(かは)と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
[作品引用:吉本 隆明『宮沢賢治の世界』筑摩書房]
代表作の詩集『春と修羅』に収録されていますが、宮沢賢治は晩夏にこの踊りをみて、作品にしたとも言われています。剣舞は、岩手県各地に伝わる民俗芸能。原体地区の剣舞は、子どもが舞手となる「稚児剣舞」であることが特徴です。
賢治は生前不遇で作家としてはほとんど評価されませんでしたが、この鮮明なイメージ表現は、とても現代的。時代を先取りしていたのかもしれません。
み祭三日 そらはれわたる――賢治、最後の日々
北上みちのく芸能まつり 鹿踊り
・方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
・病(いたつき)の ゆえにもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし
[短歌引用:奥田 弘ほか(著)『宮沢賢治の短歌をよむ―続橋達雄筆録/六人会「賢治ノート」』蒼丘書林]
稗貫(郡)の地の十里四方に稲が実り、三日の祭りの間、天気までもが豊作を寿いでくれている。病で朽ちつつある命だが、稲の実りの役に立つならば、嬉しいことだ。そんな大意です。
翌日には、賢治が祭りを眺めていたことを知った農夫が、賢治は回復したと考えて訪れます。賢治は時間をかけて農夫の肥料などの相談に乗りますが、容体が急変。急性肺炎となり、翌日、家族に看取られて永眠します。祭りとともに詠んだ二首の短歌が、絶筆となりました。
今年は、宮沢賢治生誕120年。ゆかりの地・花巻市では、たくさんの催しが企画されています。語り尽せない多面的な賢治の魅力を体感するためにも、秋の季節に、一度は岩手を訪れてみたいですね。
参考文献:
宮沢清六 (著)『兄のトランク』筑摩書房
滝浦静雄 (著)『修羅とデクノボー―宮沢賢治とともに考える』東北大学出版会
田口昭典 (著)『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』でくのぼう出版