受験シーズン到来! 学問の神様を祀る「天満宮」についてきちんと理解し、合格祈願に行こう!
毎年700万人の参拝者が訪れる北野天満宮
しっかり栄養を摂り、万全の態勢で試験に臨みたいものですが、もう合格祈願は済んでいますか?
全国各地にある「天満宮」は学問のご利益があるとされ、受験シーズンには多くの参拝者で賑わいます。
そんな天満宮には“天神”と呼ばれる神様が祀られていますが、いったい“天神”とは、どんな神様なのでしょうか?
学問の神を祀る天満宮
天満宮の境内には道真にゆかりがあるとされる白牛の像が(北野天満宮)
学問の神様として信仰されている菅原道真を祭神とし、全国各地に同名の神社があります。
最も代表的なのは、北野天満宮(京都)、太宰府天満宮(福岡)、防府天満宮(山口)の3つであり、この3社を総称して「日本三大天神」といわれます。
天満宮はじめ、菅原道真を祀る神社のことを「天神社」といいますが、これはなぜでしょう。
実は、天神とは文字通り“天の神”のことであり、菅原道真そのものを表す別名でもあるのです。
中世日本を代表する大学者 菅原道真
菅原道真像(服部天神宮)
幼少期から天才的で、わずか5歳にして和歌を創作。
青年期には学者の最高位である文章博士(もんじょうはかせ)に。
その後、讃岐国(現在の香川県)の長官として赴任し、傾きかけていた国を再建するなどの大活躍。
これが道真のキャリアです。その後も道真はトントン拍子で出世し、やがて右大臣として国家の中枢を担い、国の発展のために大きな役割を果たします。
しかし、優れた実力をもつ道真は、やがてまわりから妬まれるようになります。
あるとき、当時の左大臣たちの企てにより、身に覚えのない罪を着せられ、罪に問われた道真は、大宰府に左遷。
晩年は失意のなか苦労の日々を送り、59歳で生涯を閉じました。
道真はなぜ“天神”になったのか?
『北野天神縁起絵巻』より「清涼殿落雷事件」の場面
政敵であった藤原時平が謎の病死をとげたのに続いて、右大臣として後任に任命された源光が死去。
その後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぎ、道真の左遷に関わったとされる者たちが相次いで死亡しました。
落雷によってたくさんの人々が死んだことから、道真の祟りは雷の神である天神(火雷神)と関連付けて考えられるようになります。
雷神となった道真が、黒雲に乗って御所にたくさんの雷を落としたと想像されたのです。
この天災以後、道真は「天神」という別称で呼ばれるようになりました。
入試をひかえた受験生のメッカ「天満宮」
絵馬の裏面には、白牛に乗った菅原道真の姿が
「天満宮」の名は、道真の死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」に由来するとされ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」イメージがそこに込められているそうです。
もともと道真の祟りを鎮めるために建てられた「天満宮」ですが、やがて、学問に秀でたその人物を祀る神社として広く認知されるようになり、入試をひかえた受験生のメッカになりました。
大宰府に流されてもなお、朝廷の平穏、国家の安泰を祈り続けていたと伝えられる菅原道真。
実はたびたび起こった天災は偶然で、祟りなどではなく、道真は本当の意味で尊敬されるべき偉大な人物だったのではないでしょうか。
この受験シーズンに「天満宮」に参拝し、国家の要人として日本に貢献し、生涯をかけて勤勉をつらぬいた大学者を偲びましょう。
※明日は受験を控える学生のために、「天満宮」のめぐり方をご紹介します!