5月29日は「こんにゃくの日」。和食きっての怪優?コンニャクパワーを見直しましょう
密林のモンスター、ショクダイオオコンニャクとは?
ショクダイオオコンニャク
食用コンニャクの花もショクダイオオコンニャクには及ばないものの相当な大きさで、直立した花序は1メートルにもなります。なかなかグロテスクな形状で、マムシ草から肉茎が突き出たような姿です。また、日本にはコンニャクの在来種も存在します。ヤマコンニャク(Amorphophalus hirtus var.kiusianus)がそれで、現在、南西諸島と鹿児島県、長崎県にしか自生しません(20世紀が終わる頃までは高知県にも自生していたようです)。しかし自生種が食用にされた記録はなく、食用のコンニャクは縄文時代に稲作とともに南島から渡ってきたとも、中国から仏教伝来とともに伝来したとも言われています。けれども長く栽培は盛んではなく、貴族の間食や病気(糖尿病や消化器疾病など)の生薬として、腫れ物や傷の手当用の膏薬として使われる程度でした。コンニャクが、ゆでたり焼いたりすれば食べられるものではなく、栽培にも時間と手間がかかったためです。室町時代ごろから、主に僧院の間食「糟鶏」として、味噌煮が食べられるようになり、徐々に普及はしていきますが限定的で、現代のように一般庶民も普通に食べるようになったのは江戸時代からでした。
中島藤衛門、怪優コンニャクを手なづける
時代を通じて食べられ続けていたコンニャクですが、栽培に三年かかり、かつ寒さに弱く冬には一端掘り出さねばならず、さらに掘り出すと日持ちもせず傷んでしまうなど、農産物として致命的な欠点、難点がありました。このため他の作物が育てられない痩せ地や、桑の木の下などの空きスペースで育てるなどにとどまっていて、長く特別な日の料理としてしか出されないほど流通の少ないものだったのです。
このコンニャク生産に革命が起きたのは江戸時代中期。常陸諸沢村(現在の茨城県久慈郡)の中島藤衛門が、生のこんにゃく芋を厚さ1センチほどにスライスし、これを串にさして乾燥させる方法を考えつきます。
この乾燥させたコンニャクチップスを「荒粉」と言い、さらにこれを水車を使い細かい粉末「粉蒟蒻」にすることで、長期保存と飛躍的な軽量化に成功しました。シンプルながら、マンナンを変質させず、食感を生み出す糊力のある粉に仕上げるのは困難で、だからこそ藤衛門の発明は画期的なものでした。藤衛門は、自身で精粉と石灰を携えて国内各地を巡り、製法を伝授しながら売り広めました。この努力によって北は松前から西は近畿地方まで、広い販路を獲得します。細々と続いてきたコンニャクの食文化は一気に活性化したのです。水戸藩内から福島県にかけてはコンニャクの商いで財を成す豪商・豪農も多く生まれ、水戸藩の財政も潤いました。そしてこの事が、やがて時代を動かす動乱の起爆剤へとつながっていくのです。
桜田門外の変に風船爆弾…コンニャク、時代を怪しく揺るがす
桜田門
コンニャクが再び時代の動乱の中で登場するのは太平洋戦争(1941~1945)。その末期、兵器製造の資材に困窮した日本は、アメリカ本土を直接攻撃するための苦肉の兵器「気球爆弾(風船爆弾)」を開発しました。楮(こうぞ)で作った強靭な秩父地方の小川和紙を、こんにゃくで作った糊で幾層も張り合わせ、密閉性の極めて高い直径約10mの気球を作り上げ、これに4発程度の焼夷弾を積んで、太平洋を偏西風に載せ、福島、茨城、千葉の太平洋に面した海岸からアメリカまで飛ばしました。バカらしい兵器と思いきや、太平洋や大西洋などの大洋を越えて到達する人類初の兵器だったとも言われ、放流した9000個の風船のうち、何と1000個もがアメリカ各地に到達し、300以上が炸裂したという、恐るべきアナログ兵器でした。
実はアメリカは、この対応しようのない無差別攻撃爆弾を非常におそれ、被害が出ても徹底的なかん口令を敷いて、日本側に知られないようにしました。このため、作戦失敗と落胆した日本軍は、風船爆弾の開発放流を中断しました。いずれにしても、コンニャクの粘着性が大陸を横断するほどの強力なものだということですね。
※参照
「風船爆弾」秘話 (櫻井誠子 光人社)
8月15日までの登戸研究所風船爆弾作戦の遂行と終結 /塚本百合子
第2次大戦中に日本軍が使用した風船爆弾
コンニャク王国・群馬の誕生
群馬県昭和村のこんにゃく畑
群馬県の、夏には高温になることの多い内陸性の気候と、山地が多く水はけがよい土壌が、熱帯性のコンニャクにはあっていたようです。戦後には平地栽培の技術も確立し、生産は昭和40~50年ごろにピークを迎えますが、日本人の食生活の変化で消費が低下、今ではピーク時の1/3ほどに落ち込んでいます。が、近年海外では低カロリー、ローカーボハイドレート食材として注目を集め始め、特に欧米で人気が高まっています。日本にコンニャク食を伝えたはずの中国でも、一般的にはほとんど食べられることがなく(定番の中華料理にも思いつきませんよね)、日本旅行で食べるコンニャクをものめずらしく感じるんだとか。
独特のにおいがわずかにありますが、味はほぼ無味で極めて淡白、脂分もなくカロリーもほぼないため、弾力のある食感を楽しむことと、豊富な食物繊維とグルコマンナンの膨張作用による整腸効果のために食べられるものですが、和食のバリエーションは思いのほかに多く、すき焼きや焼きそばの具としても、モツ煮込みやけんちん汁、おでんにも欠かせない名バイプレイヤーですし、蕎麦屋の味噌田楽や刺身コンニャク、主菜としてピリ辛の炒め物、さらにはこんにゃくステーキなど、使い道は様々。滋賀県近江地方の赤蒟蒻や山形県の玉蒟蒻など、地方色豊かな変り種も存在します。
一昔前は外国人にとって、和食の中でもっとも奇妙に感じる食品は、刺身でも納豆でもなく、コンニャクでした。その食感がスライムのようだとか、プラスチックみたいだとか気味悪がられ、カルチャーショックを受ける食べ物だったようです。そんな時代から、もはやヘルシーな食材として世界的に注目されているコンニャク。ハイカーボン、ハイカロリーの食べ物を求め続けてきた人類が、その対極の食べ物を求めるのも先進国の飽食の果てという気がしないでもありませんが、コンニャクの美味しさや食材としての豊かな可能性はまぎれもない事実です。
食文化の故郷としての日本でも、かつてのように盛んに食べられる日がまた来るかもしれませんね。
参考・参照
植物の世界(朝日新聞社)
コンニャクの歴史
こんにゃくパーク
※公開後、記事の一部を加筆・修正しています(2019/8/29)