真冬に咲きつぐカンアオイは「春の女神」への供物?七十二候「水沢腹堅」
一年で一番寒い時期
がらんとした真冬の雑木林。そんな環境を好む寡黙な奇花あり
カンアオイ
カンアオイ属(寒葵属 Asarum)は、コショウ目ウマノスズクサ科に属する多年草。世界でも特に東アジアから東南アジアにかけての分布が多く、日本には5節・59種が自生しています。フタバアオイやウスバサイシンは落葉しますが、属名ともなっているカンアオイ(Asarum nipponicum)、別名カントウカンアオイ(関東寒葵)をはじめ、多くは常緑性。カントウカンアオイは本州の関東地方から近畿地方、四国のもっとも広域に分布し、晩秋に暗紫色の花をつけると越冬して、寒い季節の間中たくましく花を咲かせ続けます。地表際の葉腋からごく短い柄を出し、柄に一つずつ花をつけます。地表すれすれに咲く小さな花は、たいてい枯れ草などに埋もれていて、人が気づくことはめったにありません。わざわざかきわけて見つける人は、よほど奇特な変人でしょう。
放射状に三枚の花びらがあるように見えますがこれは萼片で、萼筒の口輪は白っぽく、その真ん中にぽっかりと穴が開き、筒型の萼筒のなかに雄しべと雌しべが収められています。花の内部、内側の壁はワッフルの凹凸のような網目状の隆起線が走っていて、隆起線の数により亜種の区別がつけられる場合もあります。見た目のイメージと違い、花からはよい芳香がします。
常緑の葉には、雲形のランダムな明るい斑模様が入ります。シクラメンの葉を思い出していただけるとわかりやすいかと思います。こうした斑模様の美しさと花の奥深い美が愛され、江戸時代以来カンアオイの仲間は植物マニアに偏愛され、古典園芸植物として不動の人気を得てきたのです。
八千年の春と秋。究極のスローライフプランツ?
カンアオイの葉に産み付けられたギフチョウの卵
さほど移動性の高くないこれらの小さな虫たちに依存したカンアオイ属の環境拡散はきわめて緩慢です。そしてカンアオイは発芽から花をつけるまで約10年ほどもかかるゆっくりとした成長をするため、一説では一万年かけて5kmほど移動拡散する、と計算されています。まさに「荘子」逍遥遊に描かれる、「八千年の春と八千年の秋をめぐる大椿」のミニチュア版のように、カンアオイは少しずつ少しずつ、見えないほどに変化をしながら、長い時間をかけて日本各地でさまざまな変化をしながら、進化し続けたのです。
また、森林の樹木が育ち、大きな照葉樹や針葉樹が成長して林床が暗くなると、カンアオイは育ちません。笹やシダが茂るようになっても、駆逐されてしまいます。彼らは常緑樹が生えた明るい林床で、適度な日光と湿度が保たれた場所でしか生育できないのです。
そして、この弱弱しく小さな植物に大きく依存して、切っても切れないほど結びつきの強い蝶がいます。日本在来の蝶の中でも、おそらくもっとも人気が高く、マニアには「春の女神」とあがめられるギフチョウです。
ひそやかにゆるやかに…カンアオイとギフチョウは穏やかな里山の楽園が育んだ
春の女神、ギフチョウ
日本にはギフチョウの仲間で、北部の亜寒帯の広葉樹林に生息するヒメギフチョウ(Luehdorfia puziloi)がいますが、こちらは朝鮮半島や中国とも共通種で、日本列島に住み着いたヒメギフチョウが、日本固有種のギフチョウに分化したものと考えられています。ギフチョウの仲間はかつて東アジアから東南アジアの森林が広く落葉樹の森であったころに進化繁栄した種族であると推測されています。幼虫の食草であるカンアオイも、そうした環境に適応して進化しました。やがてアジア全体が温暖化し、亜熱帯林や照葉樹林に覆われるようになると、ギフチョウは広葉樹林とともにしだいに北へと追いやられ、ヒメギフチョウは亜寒帯のミズナラの多い落葉広葉樹や、カラマツ林などに寒冷適応して生き残りました。ヒメギフチョウの食草は、カンアオイ属の中でも落葉性のウスバサイシンやオクエゾサイシンで、ヒメギフチョウとサイシンの仲間は手を携えて寒冷適応したといえます。
そうした中で、日本列島に住み着いた人間たちが水田稲作をはじめます。人間たちが急峻な河川を灌漑し、うっそうとした森を薪や炭、萱の生産、資源として活用しながら明るい里山雑木林へと変えていったため、人里近くではカンアオイとギフチョウが好む明るい広葉樹林が二次的に創造されたのです。穏やかに作り変えられた循環型の環境である里山は、カンアオイとギフチョウにとっての楽園となり、繁栄することになりました。
けれども、スギ・ヒノキの植林による針葉樹林の拡大、高度成長期ごろからの里山の荒廃と開発による減少によって数を減らし、各地で絶滅、絶滅危惧種となってしまっています。カンアオイが育ち、ギフチョウが舞い飛ぶ環境は、いつしかほとんど消えてしまったのです。
私たちの先祖は急峻な山岳の多い日本の土地を、粘り強く穏やかな自然環境に変えてきました。けれども明治時代以降は、スピードや効率、生産性を追い求めるあまり、国土を荒廃させ続けてきました。近年の自然災害には、そうした荒廃がもたらしたものもあるのではないでしょうか。自然と人間との「共生」の形として理想ともいえる里山。小さな弱いカンアオイにとっての楽園は、私たち人間にとってもきっと楽園なのではないか、と思えてなりません。