7月4日はアメリカ最大の祭典「独立記念日」!何が起きた日なのでしょう?
アメリカの光と闇が現れ出る?特別な日
国や自治体を挙げてのイベントも盛りだくさん。首都ワシントンでは60以上のマーチングバンドや軍関係者が参加し、毎年30万人以上の観客を動員する「The National Independence Day Parade(ナショナル・インディペンデンス・デイ・パレード)」が有名。各地でパレードやスポーツイベント、アメリカ人のソウルフードでもあるホットドッグの早食い大会が行われるのもこの日。またニューヨークの4万発もの花火に代表される、大規模な花火イベントは、普段州の法律・条令で花火の打ち上げや販売が規制されているアメリカでは(花火の音が銃声や爆弾の音に聞こえて不穏であること、使用される火薬が悪用されないためです)、独立記念日前後の週のみは販売が許可される州もあり、このときばかりは花火解禁!となるようです。ただし、ニュージャージー、ニューヨーク、デラウェア、マサチューセッツでは、個人で花火を楽しむことは禁止。
一方、人々が一箇所に集まったり、イベントが行われる独立記念日には事件がつきもののようで、2002年にはロス空港で銃乱射事件が起きたり、2014年の7月4日から6日の週末にかけては発砲事件が相次ぎ、9人が死亡、60人以上が負傷するなどの悲惨な事件が毎年のように相次ぎ、政府は毎年厳重警戒体制で臨んでいるようです。
アメリカという国は栄光に彩られていると同時に、成り立ちから大きな闇や病弊を抱えています。それが一大祭典という光の中で顕現してしまうということなのかもしれません。
「アメリカ」の由来になったヴェスブッチさんとは?
その後、17世紀になると、イギリスやスペイン、フランスなど、次第にヨーロッパからの移民が増加していきます。1620年に、イギリスからアメリカにわたった移民船メイフラワー号には、当時イギリスでカトリック系のイギリス国教会から弾圧を受けたビューリタン(清教徒・Puritan プロテスタントのカルヴァン派に属する)が渡航者の1/3ほどを占めていたため、彼らの存在はアメリカ合衆国のスローガンのひとつ「信教の自由」の象徴として扱われることになりました。
こうしてヨーロッパから「新大陸アメリカ」への入植を果たしたヨーロッパ人たちは、未開の地の辛酸をなめつつ、先住民族であるネイティブ・アメリカンたちを徐々に排除しながら、次第に入植地を広げてゆきました。
「独立宣言」に見られる革命思想
イギリス本国からのアメリカの入植地に対する1764年砂糖法、1765年印紙法、1773年茶法と度重なる重課税に堪忍袋の緒を切らした入植者たちが、本国の東インド会社の茶を積んだ船を襲い、お茶を投棄してしまいます。これが有名なボストン茶事件で、これが戦争の発端となりました。本当か嘘かわかりませんが、このとき以来アメリカにはお茶文化が根付かず、コーヒー文化になったのだとか。
戦争は、ヨーロッパ各国の思惑が絡まって13植民地側にフランスやオランダ、スペインなどが加勢、一方イギリス側には入植者たちに土地を奪われたネイティブ・アメリカンの部族や、イギリスの植民地から連れてこられた奴隷たちがかりだされるなど錯綜を極め、北米、中米を含む大動乱が続くことになります。
この戦いのさなかである1776年7月4日、フィラデルフィアの「第二回大陸会議」でアメリカ独立宣言(Decralation of Independence)が公布されることとなります。 トマス・ジェファーソンが起草し、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスが修正しました。そしてこれが、イギリスと戦う13植民地以外の王党派(イギリス寄り)の入植者たちの不満や反発を抑えつけ、一つの共同体の誕生を印象付けることで、後に実質的な「アメリカ合衆国の誕生」として位置づけられ、「独立記念日」となったのです。
実際には1783年9月3日にパリ講和条約が締結されて終戦したときが、アメリカの実態的な「独立」の成立であり、7月4日を独立記念日とするのはおかしい、という意見もあったり、また、独立宣言が採択されたのも、実際には日をまたいだ7月5日だったようなのですが、独立宣言50周年の7月4日に起草者で「建国の父」たちである元大統領のアダムズとジェファーソンが、55周年に大統領モンローが死去したことで、これら「建国の父」たちの命日としての7月4日は、アメリカにとって神聖な意味のある日となったのでした。
独立宣言・独立戦争は、アメリカの国旗・星条旗にも反映しています。「星」の数は合衆国の州の数に対応している、ということはよく知られています。そして「条」にあたる横縞模様、これは赤白交互で合計13本となっていますが、これは独立戦争でイギリスと戦った13植民地をあらわしています。13植民地の勝ち取った大地の上に、50の星が輝くというデザインになっているわけです。
「独立宣言」の文章の一部を引用してみましょう。
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということである。
これは、神により王は人民の支配を信託されていてそれを否定することは出来ない、という王権神授説を否定し、国家が人民のためにならないときにそれを廃して革新することが許される、というジョン・ロック(1632~1704)のピューリタン革命思想を基にし、当時最新思想だったジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)の「社会契約論」を反映したものです。この思想は後にフランス革命のスローガン「自由・平等・友愛」となり、あらゆる「民主主義思想」の元となりました。日本国憲法もまた「独立宣言」が採択した理念を体現した法によって成立する、という立憲主義に基づいた考え方から起草されたものなのです。
しかし、ここでいう「人民」には、ネイティブ・アメリカンや、奴隷として連れてこられたアフリカ黒人たちは含まれませんでした。平等や人権をうたいながらの、二面性や偽善は、すべての民主主義国家が抱えている矛盾ですが、とりわけアメリカの場合、その光と影のコントラストは強いものがあるかもしれません。
ワシントン記念塔がエジプト風のオベリスクであるわけとは?アメリカ建国にまつわる不思議
実際、アメリカの建国にはさまざまなミステリーがあり、わけてもたびたび話題に上るのは、アメリカ建国の父たちの多くが結社フリーメイソンリーの会員で、初代大統領ワシントンも、リンカーンも、ケネディも会員である、という話。合衆国独立100周年を記念して1886年に建造された「自由の女神(Statue of Liberty)」は、フランスのフリーメイソンリーからアメリカのフリーメイソンリーに寄贈されたもの。ワシントン記念塔も、フリーメイソンリーの手になるもので、その礎石にはフリーメイソンリーのマークが刻まれています。なぜエジプトのオベリスク風なのでしょう。アメリカの1ドル紙幣には伝統的にフリメイソンリーのシンボルである三角形の中に目が描かれた「プロビデンスの目」が描かれています。この「プロビデンスの目」とは、エジプトの神・ホルスの左目、「ウジャドの目」とも言われています。詳細は省きますが、ホルスの「両目」は、聖書の創世記の知恵の木と生命の木に対応し、エジプトはユダヤ教やキリスト教の原型となる宗教の発祥地のひとつであり、またキリスト教異端派グノーシス派の源流である、ともいわれています。
そして、フリーメイソンリーは、決して都市伝説で言われているような秘密結社ではありませんが、中世の石工のギルド(組合)であるという一面や、その後のネットワークを利用した紳士クラブ、慈善団体といった側面を持ちながら、連綿と古代エジプトから受け継がれてきたグノーシスの知識を受け継いできている、ともいわれています。そう考えると、ワシントン記念塔がオベリスク風であることも故のないことではないわけです。
アメリカという国が建国から常に世界の中心であり続けているという不思議さと、建国の父たちとフリーメイソンリーとの強い関係は、まったく無関係であるとはいえないのではないでしょうか。なんて空想を、建国記念日に太平洋の向こうの国にはせてみるのも、楽しいのではないでしょうか。
参照サイト
The Declaration of Independence:https://www.archives.gov/founding-docs/declaration
※記事の一部を修正しました。