見ると寿命が75日延びる? 北半球のまれ星・カノープス=布良星を観測できる季節です
見晴らしの良い場所で観測してみましょう
稀星ゆえにさまざまな伝説と和名をもつカノープス
冬の大三角形とカノープス
海洋国である日本では古来から死んだものの逝く「あの世」は、空の上や地の下などの垂直軸ではなく、水平軸である海のかなたにあるとイメージされていました。水葬が長く行われ、また海難も多く、水平線のはるかかなたに死んだ者たちの世界があり、ときに往還するという信仰が残っています。
ですから、海が荒れる冬の宵に水平線際に現れるカノープスが、その赤い色ともあいまって、死者、特に海難死者の魂と結びつくのは自然なことでした。房総半島、三浦半島、静岡県沿岸では、布良星(めらぼし)」と呼び、嵐のために海で死んだ漁師の魂が海のかなたから仲間の漁師を呼んでいるのだという言い伝えられてきました。
「布良」とは、房総半島最南端の小さな漁港で、かつてはマグロの延縄漁が大変盛んだったところ。
天気予報も無い時代の漁師が小船で漁に出るには勘と経験と運頼み。漁は命がけでした。特に冬場に出漁するマグロ漁は波が荒れ、遭難事故が相次ぎました。明治35年から明治44年の10年間で212人という多くの漁師が命を落とした、という記録があるそうです。
ですから、海の荒れる二月の宵に現れる布良星は、本当に漁師仲間の魂が星になって仲間を呼び寄せている、とリアルな恐怖として感じられたことでしょう。
また、布良のすぐ近隣の白浜町滝口では、この地に生まれた西春法師が各地で修業の後、木食行・不食行三百日を経て入定の行(即身仏の行)に入り、その際村人に「土中より鉦の音がきこえなくなったら三年後掘り出し堂内に安置してほしい。自分は死んだ後に星になり、時化の前には南の空に現れて危険を知らせよう」と言い残して土中の石室に入っていきました。
村人は恐れて手を触れることなく遺骸はそのままにされているそう。この因縁から、カノープスを「西春星」または「西心星」「入定星」と呼ぶそうです。
かたや茨城県の鹿島・筑波地方では、常陸を旅の最中に強盗に遭って惨殺された上総の僧侶が死ぬ間際、自分の怨念は星になって雨の降る前夜に南の空に現れる、と言い残したという血なまぐさい言い伝えがあり、「上総の和尚星」と呼ばれています。
どうして仏僧とカノープスが結びつくのか。もしかしたらそれは、南房総で生まれた日蓮が妙見菩薩という星の化身をあがめた、ということと関係があるのかもしれません。
というのも、こうした仏僧にまつわる言い伝えは、千葉と、千葉の真北の茨城以外には見られないからです。
ほかの地方では、たとえば瀬戸内では淡路星、伊予星などの地名由来、秋蛸星(あきたこぼし)はタコ漁で有名な兵庫県播州地方で、カノープスが夜明けに出る頃秋蛸が最盛期になるから。
また彼岸星というのも、秋蛸星と同じ地方の呼び名で、秋の彼岸が過ぎるころに見えるようになるからです。
ほかに、見られる期間・時間が短いことから「横着星」「不精星」などの怠け者の属性を与えられた名称もあります。
カノープス=布良星を見つけてみよう
シリウスとカノープス
先述したとおりカノープスは全天でシリウスにつぐ明るい星であり、8個目の一等星でもあるわけですが、何しろ地平線ぎりぎりですからとうていそんなふうに光り輝いては見えません。
カノープスを見るためには、カノープスの高度が最も高くなった頃をねらわなくてはなりません。カノープスを見るための必須条件は、南の方角が地平(水平)線まで開けた観測場所を探すことです。建物や山などに視界をさえぎられない場所、そして強い光を放つ町明かりや街灯などがあると到底無理です。それらを避けた条件の観測地点をを見つけてください。そういう意味では、南に思い切り海が開けた絶好地だからこそ、布良は布良星伝説のふるさとなのですね。
次に、カノープスがもっとも高度が上がる南中の時刻を知らなければなりません。この時期ならば、2/10前後は午後9時ごろ、2/20になると午後8時半ごろ、3月に入ると午後8時前ころ、と徐々に時間が早くなってしまいます。また3月になると雨などが増えて天候も不順になりがちなので、2月いっぱいが見られるチャンスと思ったほうがいいかもしれません。
さて、この南中の時間に真南を見上げると、おおいぬ座があります。おおいぬ座のα星シリウスが輝いていますから容易に見つけられるでしょう。
このおおいぬ座のβ星とζ星を結び、地平線のほうにその線を伸ばしていきます。すると線が地平線にぶつかった箇所のやや右か左かの南緯三度ほどのところにカノープスが見つかります。
布良星だけじゃない、布良の魅力
千葉館山の布良海岸
30代以上でしたら、人気ドラマ「ビーチボーイズ」のロケ地、というと「ああ、あそこか」と連想するのでは。
関東地方とは思えない非常に美しい磯と砂浜は、今も健在。
かつてはそんな美しい景観の評判を聞いて、明治37(1904)年、洋画家青木繁が布良を訪れ、西洋画で初めての重要文化財に指定された漁師の群像を描いた「海の幸」、そして同じく重文の「わだつみのいろこのみや」を構想し、他に海を題材にした「海景(布良の海)」などをこの地で残しました。青木が画友の森田恒友、坂本繁次郎、恋人の福田たねと滞在した「小谷家住宅」は今も現存しており、美術ファンの聖地ともなっています。
かの世界でもっとも有名な日本画、といわれる葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」も、館山周辺から崖地から富士山を望んだ景色、という説が有力。
また、近隣の鋸南町にはこの時期日本最大の水仙の群生地があり、世界北限の珊瑚の生息地の海、沼のサンゴ層と海岸段丘などのジオパークなど、見所がたくさんあります。
春の兆しを感じるこれからの時期、せっかくですから本場で布良星を観測してみるのも楽しいかもしれません。
寿命をつかさどる七福神のひとり寿老人の化身であるこのカノープスを実際に見れば、一説では一度見ると75日寿命が延びるとか。何度も見ればその分加算されるそうですから、ぜひ一度くらいは見ておきたいですよね。