関東最後の紅葉スポット・養老渓谷は今が見頃。金運UPのご利益もありそう!
ローカル線でのアクセスも楽しい! ハイキングコースや温泉も
春の小湊鉄道
また、この秋から上総牛久~養老渓谷間の18.5kmを、復刻した蒸気機関車(エンジンは最新ディーゼル)で牽引するトロッコ列車を運行する、ということでニュースになりました。現在車体の一部が破損して運行を取りやめているようですが、再開すればますますレトロな旅気分を身近な首都圏で楽しめることになりそうです。
ただこのエリア、見所が広域に散在し、一日で回りきるのはかなり大変。そこで現地で一泊してみるのも一興です。養老渓谷駅から養老川沿いに粟又の滝まで、約十軒ほどの宿が立ち並び、ちょっとした温泉街となっていて、「養老温泉郷」と呼ばれています。温泉郷に入る手前には朱塗りの太鼓橋「観音橋」がかかり、なかなかの風情。記念撮影ポイントのひとつです。
温泉郷の途中から分かれる支流・蕪来川の上流には見晴らしのよい紅葉の名所・筒森もみじ谷があり、その名のとおり一面のかえで類の紅葉を眺めることができます。
養老渓谷駅から西に行くハイキングコースを行けば、梅ヶ瀬渓谷に行き着きます。明治時代の漢学者・日高誠実(のぶざね)が住居を構えた「日高邸跡」があり、ここもかえでの巨木が鮮やかな紅葉スポット。
日高誠実は50歳のときに陸軍省を辞し、上総の地に官有地229町歩を無償で借り受け植林・養魚・畜産等の産業興隆、私塾梅ヶ瀬書堂で近郊在住の村民に国漢・英数・書道・剣道等を教授しての人材育成を夢見、梅ヶ瀬理想郷の建設に挑みました。でも、低山にもかかわらず房総の山地は緑が濃く思いのほかけわしく、毎年ハイカーが多く遭難します。まして明治期では鉄道もなくあまりに地の利が悪く、また台風や災害により山が崩れて梅 ヶ 瀬を崩壊させました。そのたびに私財を投じて立て直した日高でしたが、80歳にして逝去、梅ヶ瀬理想郷は地名のみを残して消え去ってしまいました。燃えるような散りもみじにはそんな悲運の歴史がかくされています。
ちなみにこの梅ヶ瀬渓谷、冬になるとつららの名所として知られていて、湿潤な房総の気候で巨大なつららができるそう。
見どころは大小さまざまな滝。落差35mの”金神の滝”も新たな名所に!
来年申年は五行でいうと金気で金神。訪ねてみるとご利益があるかもしれませんよ。養老渓谷付近では今もまだしばしば新しい滝が発見されており、まったく誰にも知られていない滝が森の奥のどこかににまだいくつかあるといわれています。
養老渓谷近辺は、伝説の漫画家の名作の聖地だった
かつて「カムイ伝」「サスケ」の作者白土三平が大多喜の商人宿・寿恵比楼(すえひろ)旅館を定宿にしており、一緒に何度も逗留した漫画家のつげ義春は、天才鬼才の名をほしいままにした漫画界伝説の人物。彼はこの地で漫画表現の新境地ともいわれる「沼」(1966年ガロ掲載)を構想します。この、蛇と少女と若者との異様な三角関係を描いたミステリアスな物語を皮切りにつげ義春の才能は開花、数々の名作の数々を量産するようになったのです。夷隅川のほとりの西田部を舞台にした騒動記「西部田村事件」、房総の山奥の茶屋を切り盛りする少女の初潮を描きNHKのドラマにもなった「紅い花」、大原の海を舞台にした恋愛もの「海辺の叙景」、寿恵比楼旅館の大きな柱時計が着想のもとになった「初茸がり」、また代表作の「ねじ式」も、南房総の太海に村景をロケハンしつつ、湿地を走る鉄道や海のイメージはいすみ鉄道や彼が幼少期に育った母の郷里大原です。つげ氏は後年、大原や御宿を舞台にした作品や、養老温泉郷の「川の家」に逗留してエッセーも残しています。
養老渓谷、夷隅川一帯はどこかしら妖精や不思議なものと親和性のある気配が漂う地域。ちょっと怖くて懐かしい、つげ義春の名作ワールドの舞台探訪をするのも興味深いのではないでしょうか。
養老渓谷の近隣には他にも[雨城」として知られ、自由に井戸の水を飲める湧水の里・久留里もあり、新酒のこの時期には造り酒屋めぐりをするのも楽しみ。大多喜には「千葉の秘境ラーメン・アリランラーメン」として知られる決してナビではたどりつけないといううわさのラーメン店や石窯で焼いたパンとピザが人気の古民家を改修したレストラン&パン屋などのグルメスポットも。自然薯もぜひお土産で売っていたらお勧めです。紅葉の見ごろは今年は12月前半くらいまでだそう。滝と紅葉を思い切り愉しんだあとには、おいしいものもたくさんまっていますよ。