金沢の兼六園に名桜あり ~「兼六園菊桜」は奇跡の2代目~
曲水(きょくすい)に架かる花見橋(はなみばし)と満開の桜 写真提供:石川県
初代「兼六園菊桜」は天然記念物
「兼六園菊桜」は、日本で最も花弁の多い、珍しい品種 写真提供:石川県
開花期は4月下旬から5月中旬までの約3週間。ソメイヨシノなどと比べると長く楽しめますね。色の変化にもご注目。はじめ濃紅色だったつぼみは、開花とともに次第に淡紅色に変わります。そして、花の終焉の頃は、白に近いピンク色に。花びらは一枚一枚散るのではなく、柄をつけたまま落下します。
初代の「兼六園菊桜」は、江戸時代に前田家が京都御所から賜ったと伝えられる歴史ある桜。昭和三年には、国の天然記念物に指定されました。桜の保存のために全国を行脚していた14代佐野藤右衛門は、「兼六園菊桜」を一目見るなり「このままでは余命いくばくもない。後継ぎを養成することこそ急務」と判断したそうです(『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』)。「兼六園菊桜」の命を後世につなげる物語はここから始まり、約40年間にも及ぶのです。
金沢-京都の270km。枝を10本くわえて運転!?
15代藤右衛門は、父の思いを継ぐべく、昭和34年から毎年「接ぎ穂」を譲り受けに兼六園へ。しかし2年続けて接ぎ木は失敗。昭和36年に15代藤右衛門に同行した16代藤右衛門は、その時のことを次のように語っています。
「それだけやってあかんものならもう切らんといてと言われたんですわ。もう桜自体が弱っていきよるから、接ぎ穂のためとはいえ切ったらなお弱りますわね。(中略)何とかもう一度だけと頼んだんです。これでつかなければ接ぎ穂を得る望みはない、老衰やと思って諦めようと。(中略)とにかくもういっぺんだけ、ということで、朝日がでる、夜露がまだ光っているときに、接ぎ穂を切って、それを口にくわえて京都まで持って帰ってきたんです。」(『桜のいのち庭のこころ』)
「接ぎ穂」の運搬は15代藤右衛門も色々工夫したけれどダメだった。「それやったら、もうとにかく俺と一緒やぞ」と、口に10本の「接ぎ穂」をくわえたまま、京都まで車を運転して帰ったというのです。兼六園から植藤造園までは約270km。想像を絶する道のりだったことでしょう。この10本のうち、1本だけが奇跡的に生き残ります。
「これでダメやったら、兼六園の菊桜は後世に残らへんのやから、こっちも必死ですわ。夜半に雨の音がすれば、布団から飛び起きて畑まで飛んでいって傘をかけてやったり、ふだんから虫がつかないように手当てをしたり、大変に苦労して育てまして、接ぎ木の成功を確信したのが3年後やった。」(『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』)
そして昭和42年、初代「兼六園菊桜」が枯死し、植藤造園で育てられた2代目が兼六園に返されたのです。
まだ間に合う!『無料開園&ライトアップ』は4月4日(土)~12日(日)、『さくらウォーク』は11(土)・12(日)
ライトアップ時の夜桜。兼六園の夜の顔を見ることができる貴重な機会。 写真提供:石川県
ガイドつきで桜を巡るツアー『さくらウォーク』も開催されます。「兼六園菊桜」以外にも名桜と呼ばれる桜が何種類もあるのが兼六園。中には「兼六園菊桜」同様、「接ぎ穂」をもとに植藤造園で育てられた「兼六園熊谷」や「福桜」も!ツアーでは、異なる種の桜を、解説と共にじっくりと見比べることができるでしょう。
金沢城・兼六園研究会主催『さくらウォーク』は、4月11日(土)・12日(日)10~12時。「百万石まちなかめぐり さくら2015」のイベントの1つです。事前申込み不要、参加費無料。集合場所は兼六園ではなく、「しいのき迎賓館(旧石川県庁)」1階正面玄関ですので、ご注意を。歩きやすい靴でご参加下さいね。
佐野藤右衛門 『桜のいのち庭のこころ』 草思社、1998
佐野藤右衛門・小田豊二 『櫻よ 「花見の作法」から「木のこころ」まで』 集英社、2001
鈴木嘉一『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』 平凡社、2012
石川県金沢城・兼六園管理事務所 監修 『兼六園』 北國新聞社、2013