能登半島地震から1年。いたる所にがれきが残り、壊れたままの街は少なくない。
「せめて地区で愛された祭を元通りに」。そんな思いで、姫路市の宮大工が奔走している。
■妻と3人の子どもがいる家が目の前で土砂にのまれる
大間圭介さん:家のがれきとかそのままだなと。形は変わってしまったんですけど。思い出すところはありますね。
元日、石川県珠洲市の土砂崩れの現場を訪れた大間圭介さん(42)。この場所で、妻と3人の子どもを失った。
1年前の元日に能登半島を襲った最大震度7の大地震。家屋の倒壊や津波、土砂崩れなどで228人(直接死)が犠牲となった。
大間圭介さん:(斜面を指して)本当にあとちょっとだったんですよね。もうちょっとずれていれば、みんな、今でも元気に過ごしていたのかなと思うんですけどね。
大間さんは、珠洲市にある妻の実家で過ごしていたところ、最初に発生した最大震度5強の地震に見舞われた。
大間さんの仕事は警察官。様子を見るため家を飛び出した時、さらに大きな地震が起きて、裏山が崩れ、目の前で家が土砂にのまれた。家族が見つかったのは、3日後のことだった。
大間圭介さん(2024年1月の告別式):寒かったね、怖かったね、つらかったね。発災後すぐに助けてあげたかったけど、助けてあげられなくてごめんね。本当にごめんね」 深い喪失感に苦しんだこの1年。
■4人の家族を失った男性 1年たって初めて現場を訪れる
今年1月1日、現実と向き合うために、被災後、初めて現場を訪れました。 歩き回り見つけたのは、家族と乗っていた車。
大間圭介さん:車に乗って被災したわけではないんですけど、あの車でいろんなとこ行ったなとか。特に、次男が乗っていたチャイルドシートがみえたりとかして。去年、帰って来る時も、あの車の中でみんなで歌を歌ったり、そういうことをしたなという記憶がよみがえってきて。ぐっと込み上げてくるものがあって。
大間圭介さん:この1年…そうですね。今、1人になって、楽しかった家族と一緒にいられないというつらさとか苦しさと、そういう思いを感じて過ごしてきた一年だったなと思いますし。またそういう中でも亡くなった家族と一緒に過ごしてきた一年だったかなと思います。
■復旧が遅れている被災地 地元を離れる人も少なくない
1年が経った被災地は、様々な課題を抱えている。過酷な避難生活で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」は、276人にのぼり、地震による直接死の数を上回った。
そして、復旧の遅れ。輪島市門前町黒島町にある升潟さんの自宅は、今も雨漏りする状態が続いている。
升潟孝之さん:普通の景色であれば見慣れるということはあるんですけど、この状況は何か立ち止まって見ることが嫌なんですよ。まだ1年経ってこの状態かっていう、変なことばっかり考えてしまうんで。
安定した生活の目途が立たず、地元を離れる人も少なくない。
升潟孝之さん:諦めた人はもうみんな他の地域に移り住んでいくし、でも残りたい人は残るし。人がいなくなることは本当に寂しい。
■「祭りをもう一度」姫路市の宮大工が能登の神輿を無償で修復
かつて北前船の拠点として栄えた黒島町。地元の人が大切にしてたきたのが、江戸時代から続く「黒島天領祭」だ。
若宮八幡神社氏子総代表 林賢一さん:私らも小さい時から祭りを中心にした生活をしていたんです。ですから皆さん祭りの時期になれば、私らも船に乗っていたんですけど、休みをもらってきて。
神社は被害が大きく祭りに欠かせない神輿(みこし)も大破した。
「黒島の人に、祭りをもう一度」。 いま、崩れた神輿は、兵庫県姫路市にある。
宮大工 福田喜次さん:全てがもうバラバラだから。昔のつくった棟梁が番付を書いてくれてるけど。
地元の現状を知り、姫路市の宮大工・福田喜次さん(72)が無償での修復を引き受けた。神輿は1744年、280年も前に作られたもので、ひとつひとつの細工に能登の文化が色濃く反映されていて、宮大工歴53年の福田さんでも修復は簡単な作業ではない。
宮大工 福田喜次さん:播州の神輿と違う。こんなところに彫刻があって、本格的な神輿。ふるさとを心配して外へ出ている人が、祭りに帰ってきてくれたらな。
去年の年末には、黒島町の升潟さんが、姫路まで様子を見にきた。
升潟孝之さん:すごいですね。
福田喜次さん:ここら見にくいけど、一応直したで。
升潟孝之さん:これ(屋根)も全部めくられたんでしょ。
升潟孝之さん:修理してちゃんとした形でまた黒島に戻ってくるということが、それでまた祭りが再開できればね。なんとか弾みをつけたいですね。
神輿の修復は、工程の半分を終えたところ。8月の祭りでは、たくさんの人が心待ちにしている元の姿に戻った神輿が見られる予定だ。
■「被災者の皆さんに寄り添っていくことが何より大事」
発災から1年たって、4人の家族を亡くされた大間さんが現場に足を踏み入れた。
共同通信社 編集委員 太田昌克さん:大間さんおっしゃっていたのが、『亡くなられたご家族とこの一年間一緒に過ごしてきた』。そういう一年だったとおっしゃっていました。心の中にとても大きな空間が生じたと思うんですよ。だけどその空間の中に、いつもこの4人のご家族の方を心の中に招き入れることによって、生きた証しというものを、お子さんたちそれから奥様の生きた証しというのをご本人が確認しながら、それで一生懸命、前に進もうとされている大間さん。こういった営みというのは、大間さん恐らくご本人が亡くなられるまでずっと続くと思うんです。
共同通信社 編集委員 太田昌克さん:私たちはそうした大切な方を失った震災の被害者の皆さんの、そういうお心を、いろんな形で支援ができると思うんです。物心両面で。話を聞いたりとか、経済的な支援もできれば寄付とかもありますから。やっぱりいつまでもこの震災の、神戸もそうですけれども、被災者の皆さんに寄り添っていくということが何より大事だと思います。
被災地の復旧復興がなかなか進まない中で、神輿の修復によって、その先に夏祭りの楽しみがあると、地元の方の心の支えになるのではないだろうか。
関西テレビ 加藤さゆり報道デスク:姫路にいる支援者の方が、宮大工の福田さんを引き合わせて、いま修復している神輿も夏には戻って来ますと積極的に周知していて、それがやっぱり地元の方にとって、ささやかだけれども希望の光になっているそうです。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年1月6日放送)