小林一茶・立川焉馬の旧居跡碑
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東京都墨田区緑1-3-4
江戸時代後期を代表する俳人の小林一茶は、現在の東京都墨田区緑に住居を構えていました。恵まれた家庭環境でないながら、生涯に2万句にも及ぶ化政調と呼ばれる作風の俳句を残しました。また、大工の棟梁、和泉屋和助もこの周辺に住み、立川焉馬または烏亭焉...
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舟橋聖一生誕の地
東京都墨田区横網1-11
昭和時代初期の作家、国文学者の舟橋聖一は、クリスマスの日に東京都墨田区横網に産まれました。『ある女の遠景』で毎日芸術賞、『好きな女の胸飾り』で野間文芸賞などの賞を受賞し、旺盛な文学、懇曲などの創作活動を続けました。文学に関する活動ばかりでな...
与兵衛ずし跡
東京都墨田区両国1-8-8
現在では世界各国に店舗が広がる和食の握り寿司が考案されたのは、江戸時代の文政年間だと伝わります。大阪の押し鮨に変わり、小泉与兵衛が酢で締めた飯の上に、ワサビをはさんでネタを乗せて寿司を握りました。こはだ鮨を岡持ちに入れて夜の繁華街を売り歩く...
殉職慰霊碑
東京都墨田区石原4-22
1945年3月10日未明の東京大空襲によって東京は一面、焼野原と化しました。墨田区石原にあった電話局では、女子交換手28名と男子職員3名が犠牲となりました。殉難をいたみ、1958年に慰霊碑が立てられました。高さ2.3mの石柱に、当時の電電公...
伊藤左千夫牧舎兼住居跡
東京都墨田区江東橋3-13 錦糸町駅南口バス乗り場
日本を代表する歌人、小説家の伊藤左千夫は、1889年に上京して暫く墨田区江東橋で生活を営みました。新しい時代の食文化を目指して、牧場を購入し牛乳搾取業を行っていましたが、35歳のときに正岡子規に師事しました。子規の没後には根岸短歌会系歌人の...
かっぱ像
東京都墨田区江東橋4-17-1
東京都墨田区の錦糸堀は、本所七不思議で語り継がれる「おいてけ堀」であったと伝わります。掘で魚を釣っていると、どこからともなく「おいてけ」の声が聞こえ、気がつくと釣ったはずの魚がいなくなったという話です。声の主は、狸とも河童とも言われます。全...
堀辰雄住居跡
東京都墨田区向島3-36-7
昭和時代初期に活躍した作家、堀辰雄は1906年から東京都墨田区に住むようになりました。向島から牛島小学校や、芥川龍之介も学んだ両国の府立第三中学校、現在の両国高等学校に通いました。夫人の多恵は『道の花』の中で「向島の家はなつかしい。今は建て...
墨堤植桜之碑
東京都墨田区向島5-1
東京都墨田区の墨堤の桜は1717(享保2)年、徳川幕府第8代将軍吉宗による植樹がその始まりとされています。『江戸名所花暦』には、「江戸第一の花の名所」として絶賛されています。1887(明治20)年に、向島に住んでいた榎本武揚の揮毫によって約...
幸田露伴の文学碑
東京都墨田区東向島1-7-11
『五重塔』、『運命』などの文語体作品で、尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた文豪、幸田露伴は、1908年から1924年までの16年間、東京都墨田区に暮しました。東向島の雨宮酒店横の別棟を間借りした後、自分で家を設計し「蝸牛庵」と名...
香梅園
東京都墨田区文花2-5-8
江戸時代末期には東京都墨田区文花には、3000坪を越える広大な梅園「小村井梅園」がありました。築山や池、石を並べた庭園に数多くの紅梅、白梅が植えられ、「梅屋敷」の名で親しまれていました。ところが、1910年に洪水の被害に会い、廃園となってし...
東京タワー(東京都)
東京スカイツリー(東京都)
お台場(東京都)
浅草寺(東京都)
豊洲市場(東京都)
高尾山(東京都)
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