大高源五句碑
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東京都墨田区両国1-11-2 両国橋児童遊園内
江戸時代の元禄年間に江戸の町を賑わせた「赤穂浪士」の四十七士の一人、大高源五が詠んだと伝わる俳句の碑です。大高源五は、赤穂義士の吉良邸討入りの日を決定づける重要な情報を入手したと言われています。俳人でありお茶も嗜んでいたことから、吉良上野介...
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北斎通り
東京都墨田区亀沢1~4
東京都墨田区の亀沢1丁目から4丁目までの約1kmの道の両側の街路灯、公衆トイレなどに葛飾北斎の作品の103枚が掲示されています。江戸時代後期に浮世絵師の巨匠、日本風景版画の創始者として活躍した絵師葛飾北斎は、1760(宝暦10)年9月23日...
旧両国橋・広小路跡
東京都墨田区両国1‐2‐11付近
東京を流れる隅田川に千住大橋に続いて2番目に架けられた橋が両国橋です。西に武蔵国、東に下総国の2つの国にまたがっていたことから両国橋と呼ばれるようになりました。現在は国道14号線が隅田川を越える橋を両国橋と呼んでいますが、江戸時代に架橋され...
小林一茶・立川焉馬の旧居跡碑
東京都墨田区緑1-3-4
江戸時代後期を代表する俳人の小林一茶は、現在の東京都墨田区緑に住居を構えていました。恵まれた家庭環境でないながら、生涯に2万句にも及ぶ化政調と呼ばれる作風の俳句を残しました。また、大工の棟梁、和泉屋和助もこの周辺に住み、立川焉馬または烏亭焉...
舟橋聖一生誕の地
東京都墨田区横網1-11
昭和時代初期の作家、国文学者の舟橋聖一は、クリスマスの日に東京都墨田区横網に産まれました。『ある女の遠景』で毎日芸術賞、『好きな女の胸飾り』で野間文芸賞などの賞を受賞し、旺盛な文学、懇曲などの創作活動を続けました。文学に関する活動ばかりでな...
与兵衛ずし跡
東京都墨田区両国1-8-8
現在では世界各国に店舗が広がる和食の握り寿司が考案されたのは、江戸時代の文政年間だと伝わります。大阪の押し鮨に変わり、小泉与兵衛が酢で締めた飯の上に、ワサビをはさんでネタを乗せて寿司を握りました。こはだ鮨を岡持ちに入れて夜の繁華街を売り歩く...
殉職慰霊碑
東京都墨田区石原4-22
1945年3月10日未明の東京大空襲によって東京は一面、焼野原と化しました。墨田区石原にあった電話局では、女子交換手28名と男子職員3名が犠牲となりました。殉難をいたみ、1958年に慰霊碑が立てられました。高さ2.3mの石柱に、当時の電電公...
伊藤左千夫牧舎兼住居跡
東京都墨田区江東橋3-13 錦糸町駅南口バス乗り場
日本を代表する歌人、小説家の伊藤左千夫は、1889年に上京して暫く墨田区江東橋で生活を営みました。新しい時代の食文化を目指して、牧場を購入し牛乳搾取業を行っていましたが、35歳のときに正岡子規に師事しました。子規の没後には根岸短歌会系歌人の...
かっぱ像
東京都墨田区江東橋4-17-1
東京都墨田区の錦糸堀は、本所七不思議で語り継がれる「おいてけ堀」であったと伝わります。掘で魚を釣っていると、どこからともなく「おいてけ」の声が聞こえ、気がつくと釣ったはずの魚がいなくなったという話です。声の主は、狸とも河童とも言われます。全...
堀辰雄住居跡
東京都墨田区向島3-36-7
昭和時代初期に活躍した作家、堀辰雄は1906年から東京都墨田区に住むようになりました。向島から牛島小学校や、芥川龍之介も学んだ両国の府立第三中学校、現在の両国高等学校に通いました。夫人の多恵は『道の花』の中で「向島の家はなつかしい。今は建て...
東京タワー(東京都)
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浅草寺(東京都)
豊洲市場(東京都)
高尾山(東京都)
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