関ヶ原古戦場 決戦地
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岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1202
誰もが知る、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。 西軍・石田光成が布陣した笹尾山を背に、現在は田園の広がる中程に「決戦地」があります。 大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があり、休憩所もあります。 1600年9月15日午...
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不破関資料館
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岐阜県不破郡関ケ原町松尾21-1
不破関は古代の東海道の鈴鹿関、北陸道愛発関と並ぶ三大関所跡の一つです。さらに、日本の歴史上クーデターかといわれる壬申の乱の大舞台がこの不破で展開されました。 古代三関は、この不破関以外は、所在がはっきりしていません。当時の法律にも定められた...
笹尾山(石田三成陣跡)
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原4008
誰もが知る、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。 「決戦地」の北西に位置する小さな山が笹尾山です。ここに西軍・石田光成が、忠臣・島左近と共に布陣し、現在は「石田三成陣跡」の碑があります。 合戦時に、敵の攻撃からの防御として使われ...
関ヶ原笹尾山交流館
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1167-1 (旧関ケ原北小学校)
誰もが知る、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。 関ケ原古戦場でも一番の観光ポイントでもある、西軍・石田三成陣跡の笹尾山一帯での交流を促進するための拠点施設が「関ケ原笹尾山交流館」です。 おでかけもできる「甲冑体験(有料)」を...
関ヶ原古戦場 開戦地
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原2368-1 (西田運動広場)
誰もが知る、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。 北天満山を背にした西田運動広場の入口に、「開戦地」の大きな碑があります。 (現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しています。) 合戦当日の朝...
桃配山・徳川家康最初陣跡(関ヶ原古戦場)
岐阜県不破郡関ケ原町野上1424-1
関ヶ原では、天下分け目の戦いが2つ行われたのは、ご存知ですか。 ひとつは、1600年の「関ヶ原の戦い」。もう1つは、672年の壬申の乱です。 実は「桃配山」はその二大戦の陣跡と言われています。 壬申の乱では、大海人皇子(のちの天武天皇)が...
徳川家康最後陣跡(関ヶ原古戦場)
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原959-2
誰もが知っている天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。 徳川家康は、当初の苦戦に苛立ち、本陣を桃配山から、石田三成の本陣・笹尾山のすぐ下(直線距離で500~600m)のここへ移動させました。 ここから、松尾山に陣取る小早川秀秋に発...
不破の関跡
岐阜県不破郡関ケ原町松尾
「不破の関跡」は、岐阜県不破郡関ケ原町の「不破関資料館」から中山道を挟んだ場所にあります。「関ヶ原の戦い」のはるか昔、この地を舞台にもう一つの「天下分け目の戦い」である「壬申の乱」がありました。不破関は、壬申の乱の翌年、天下の変乱に備えて通...
壬申の乱跡
岐阜県不破郡関ケ原町藤下
弘文天皇と天武天皇を中心とする、当時の二大勢力の決戦地です。壬申の乱は西暦672年に起きた古代史上最大の内乱で壬申の年にあたる672年、天智天皇の弟の大海人皇子?(おおあまのおうじ)?と天皇の長子である大友皇子が、皇位継承をめぐって起こした...
若宮八幡神社(岐阜県)
岐阜県不破郡関ケ原町藤下47-1
岐阜県不破郡関ヶ原町にある藤川は、伊吹山麓に源を発し、関所のそばを流れているところから、関の藤川と呼ばれていました。 壬申の乱では、両軍がこの川をはさんでの開戦。関ケ原の戦いでは、大谷吉継が上流右岸に布陣するなど、このあたりは軍事上重要な地...
白川郷(岐阜県)
長良公園(岐阜県)
新穂高ロープウェイ(岐阜県)
オアシスパーク(岐阜県)
ひるがの高原(岐阜県)
恵那峡ワンダーランド(岐阜県)
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